石川綜合法律事務所

石川綜合法律事務所

石川清隆コラム

モデル論image

1. SFのモデル

古いモノクロのSF作品アウターリミッツに登場する惑星のミニチュアモデルは、ありえないことがわかっていても、面白いのです。
「8光年離れた惑星ウルフ359を観測するために、博士は研究所内にその惑星のミニチュアモデルを作る。大気、温度、地質、密度、重力、太陽はライトが点滅し、1秒が惑星の時間の何日かとか・・・全てを正確に再現した。この実験の眼目は、探査するにふさわしい星であるのか・・・。顕微鏡的カメラで写真を撮ると、やがてミニチュアの惑星の上に植物が発生育って、地球の進化とあまりにも似通っている。原子爆弾のきのこ雲が。地球の未来がやがてみられるという時に・・・ 惑星上の生物が進化するほど、この惑星の悪霊は巨大となり、この惑星の未来を暗示する・・・・」(注1)
さすがサイエンスフィクションです。スケールだけでなく、時間も短縮して生物の進化を「神の目線」で観察できるなんてどれほどの科学力でしょうか・・・。

2. 経済学のモデル

経済学でさえ、完璧なモデルは無いようです。
しかしつい最近まで、新市場原理とかが叫ばれ、その根底には数学的に記述され、証明された、ノーベル経済学賞を受賞した理論があったはずです。
アローとドブリューという二人の経済学者が、限定的な仮定を置いた上で市場には均衡という状態が明確に存在をしていることを数学的に証明した、最初のモデルであると言われています。研究者の概説書を読むと、アダム・スミスが論理的に説明し、「神の見えざる手」で成し遂げられとした市場の均衡状態が一定の仮定的前提で成り立つことを数学的に記述したもので、その内容に矛盾誤りは無いという点では異論がないようです。

経済学及びここから派生した現代の財政理論、金融理論は、このモデルを基に発展してきました。しかし現実に起こったことは、この前提で金融工学を用いて、住宅ローン(サブプライムローンなど)やそのほかの金融商品の証券化を行うなど、数々の金融派生商品(デリバティブ)を生み出しました。
これらはリスクを軽減させる手段であったはずですが、レバレッジ[てこ]理論で将来の増益を安易の前提としたため、逆にリスクは増加していました。これらは、金利差と時間差を利用して次々と取引され、取引規模の実態は把握出来ないほどになっていたそうです。
リーマンショックは、この成れの果てでした。またAIJの投資の失敗や日本振興銀行の破たんの例も、その傍流にあるものです。
新市場原理の理論建てには、仮定から結論を導く論理、および数学的証明には齟齬も矛盾もありません。しかし歴史的経験に発現した結果は、社会的公正と福利が崩壊しそうな状態です。
しかし、なぜこのような理論的に完璧で矛盾のない理論が現実の経済にそぐわないことになったのでしょうか。
そもそもモデルとはなんであったのでしょうか、また数学的証明というものはなんであるのでしょうか。

(1)モデル論

1.仮定されているもの、(その1)ホモ・エコノミクス

経済学の発展は、簡単にいうとアダム・スミスの国富論に始まり、リカードによる数量化、ワルラスの限界革命と一般均衡理論(一部の数式化)、アロー、ドブリューの高度な数学による均衡理論の証明という歴史をたどって作られました(全部読むと頭が痛くなるほど膨大な量です)。
しかしこれら経済学のモデルはすべて「企業は利潤最大化を、消費者は効用最大化を目的として経済活動を行う」という、行動原理が前提となっています。
経済学では、「合理的経済人」(ホモ・エコノミクス)で「すべての人間は己の利益を最大化するように行動する」という人間像を前提としていることは多くの解説書の触れられているところです。
この行動原理を前提とし、経済学は経済主体の行動を論理的に処理出来たのです。また論理的であれば、限定的条件の下で数学的に処理することも可能になり、市場における「神の見えざる手」により、個人が(社会的公正を考えなくとも)己の欲望に忠実に経済活動(消費と生産)を追求すれば、市場の中で自ずと供給と需要の均衡が達成され、結果として社会的公正と福利が達成するという理論が構成できたわけです。

2.仮定されているもの、(その2)需給均衡

限界革命以降の経済学は、個人や企業の行動を特定化するために使われる手法である「最適化」だけでなく需給均衡(需要量と供給量とが等しい状態)の二つを理論枠組みとしています。
また需要曲線と供給曲線を用いた分析、需要供給の一般均衡は、全ての財およびサービスについて需要と供給とが一致する点に求められる(誰でも知っている、需要と供給のバランス曲線で交点が価格であるという単純な図を思い出して下さい)。

商品はかならず売れるという前提がないと、この分析は、実際の経済状態を反映しない単なる仮定のグラフだということです。(注2)

(2)数学的証明とは

現実の世界では、物理法則は、数学で記述出来ると言われています。なぜそう出来るのかは、今のところうまくいっているので「仮説」なのだそうです。(注3)
非ユークリッド幾何学の発見がありました。「平行線は交わる」とか歴史的に絶対とされていた幾何学だけでなく、前提を変えた幾何学が論理矛盾なく構成出来るということです。
「総合的ア・プリオリの解体は、数学内での発展とともに始まりました。カントが死んで20年後、ボヤイとロバチェフスキーは非ユークリッド幾何学を発見しました。彼らの発見の重要性は、自身もまた、独自に同様の幾何学的結論へ到達していたガウスによってすぐに認められます。ガウスの「もし数学者が二つ以上の幾何学体系を知っている場合、その体系のどれが物理的現実に適用するかは経験的問題であると考えていた。」(注4)という指摘は貴重なものだと思います。
バートランドラッセルは、実数の算術から数学的な定義が論理から始まること、前提、定義を変えても体系を構築できること、そして数学的体系はそれだけでは空っぽであり、物理的経験的な現実を記述するものではないことを明らかにしました。数学は現実としてあるかもしれない可能性を示すだけで、現実がそうであるという答えを与えません。
しかもゲーデルが「不完全性定理」として、「どんなに公理を選択して、無矛盾にみえる理論体系を構築しようとも、その理論体系の無矛盾を自分の理論体系の中で証明することは不可能である。したがって、選んだ公理が本当に正しいのか証明することは、それだけでは絶対にできない」と述べることによって、「理論体系の完璧さ」は経験的な事実を記述しているかどうかとは関係ないとされました。

3. 競争均衡モデル

アローとドブリューの競争均衡モデルに代表される一般均衡理論は、このように仮定 的前提を置いて、数学的に記述するという、論理的に完璧な理論となっているのですが経済の現実を説明しているものではないのです。ジョン・ケイは、アローとドブリュ-のモデルの目的は、「競争市場の性質をより明確に理解するフレームワークであって、複雑な現代経済の描写ではない」と述べています。(注5)
このモデルの仮定の非現実性については多くの批判がなされました。しかしミルトン・フリードマン(1976年のノーベル経済学賞受賞者)は、「理論から導かれる結論が予測能力をもつかどうかが、経験科学として容認されるか否かであり、仮定の非現実性は理論にとってなんの問題ではない」と主張しました。正しい結論を導くならば、仮定が非現実的であるほど、その理論には驚きがあり、優れた理論であると主張していました。
そしてウォール街はこの主張をうけて高度化する金融工学を用いて、リスクを軽減させる手段として、住宅ローンやそのほかの金融商品の証券化を行い、数々のデリバティブ(金融派生商品)を生み出していたのです。

4. マルクス経済学はどこにいったのか?

1991年、「人類の未来を指し示した」はずのソヴィエト連邦が崩壊し、その教義ともいうべきマルクス・レーニン主義は放棄され、先進国では共産主義政党は,解党ないし、社民政党に変身しました。そのあたりをはっきりしていない共産主義政党は、日本とポルトガルに残っているだけだということです。戦争以外に粛清などで1億人を虐殺した共産主義とそのマルクスの経済学はほとんど放擲されました。(注6)
しかし、マルクスの「資本論」を読んだことのある人は、それが論理的構造をしていることに気が付くはずです。すると一定の前提のもとに数学的記述し、富の偏在が桎梏となる資本主義の破断点の存在がありうることを「数学的に」証明出来たのかもしれません(誰もやっていないようですが)。
もちろん前提にするのは、「ホモ・エコノミクス」で、とりわけ「社会的公正を考えなくとも己の欲望に忠実に経済活動(消費と生産)を追求する」と言う点が強調されるだろうと思われます。また「需給均衡」も前提となっているはずです。
マルクスが参考にしたのは、当時のイギリスの資本主義で、しかもそれを空っぽにした経済体制を想定し、その中での搾取による富の偏在や資本の蓄積と貧困の発生を分析しただけなのです。
これでは、時代の発展に適応した経済学モデルはやはり作りえなかったはずです。
「マルクスは生きている」とか郷愁を持って述べている人がいますが、マルクスの経済モデルは陳腐化しました。SFではないのですから「神の目線」から見るようなモデルは出来ないわけです。

(注1):アウターリミッツ 「ウルフ359」1963.9.16~1965.1.16  TVシリーズ

(注2):「需給均衡」は経済全体の需要関数・供給関数は、各財・各サービス毎にこれら需要関数、供給関数を集計すれば得られるのですが、経済学ではこの供給関数を微分したものが価格と一致するとか論じていくのです。しかしここでも「所与の価格体系」、「需要の存在」が前提となっていることを注意すべきでしょう。[商品はかならず売れるか]当 Column No.2 を参照してください)

(注3):小室直樹氏の著作、申し訳ないが出典が見当たりません。

(注4):数学とオカルトのあいだ
『数学のたのしみ』特集「数学にたくす夢」 第30号 pp.36-42 2002年4月

(注5):市場の真実  ジョン・ケイ著  佐々木勉訳 中央経済社 p178
なお「金融工学におけるプライシング理論は、一物一価の考え方に基づくところである。経済学での議論における需要と供給の関係においてアロー・ドブリュー証券の仮定を置くことにより、同時点での将来価値が同値な財は同じ現在価値を持つ、という前提を組み立てる。」ものだそうです。

(注6):「共産主義黒書コミンテルン・アジア篇」恵雅堂出版2006年、(原著1997年フランス刊)
ヒトラーもスターリンもやったことは同じで、共産党が戦争以外で殺した人の数、つまり粛清やテロや強制収容所などで虐殺した人の数は ソ連(ロシア)を含め1億人以上としている。

image
石川綜合法律事務所のご案内

石川綜合法律事務所

〒107-0052
東京都港区赤坂6-8-2-801
TEL:(03)3582-2110

石川綜合法律事務所 地図

石川清隆コラム

ページトップに戻る

石川綜合法律事務所