石川綜合法律事務所

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石川清隆コラム

ランダの舞とニルヴァーナランダの舞とニルヴァーナ

1.バリの神様

もう10年以上前の話です、Bali 島のウブドでバリ舞踊を鑑賞しました。
レゴンという宮廷の優雅で目の動きと手の表情が何とも神秘的な踊りが終わった後、まさに異形の悪魔のような踊りが始まりました。
黒い面を付け、目をひんむき、髪振り乱し、長い舌を出しながら、指の2~3倍の長さの爪の両手をかざしながら、指を震わすように動かし踊る姿は、一見コミカルですが、伴奏の銅鑼や笛の調子が乗ってくると、鬼気迫る雰囲気を持っています。日本の「お神楽」のようで、子供が見ると、この「ランダ」と獅子舞の獅子のような「バロン」が「バリの神様」だと強く印象に残るようです。
現地のゴルフ場で真似して"Black face, Long nails"といって真似して踊ってみたらキャディーが「ランダ!」と言って嫌だという風に片手を振りました。

バリの人びとの90%以上がバリ・ヒンドゥーを信仰し、これに従った生活を送っているそうです。バリ・ヒンドゥーとは、バリ土着の信仰とインド仏教やヒンドゥー教が習合した信仰体系 (注1) であり、「ヒンズーの三体の神の他に魔女ランダと聖獣バロンが君臨している。彼らの世界観では善と悪が常に拮抗し続け、どちらが完全に勝つというわけではない。したがって、悪の象徴である魔女ランダを彼らは恐れながらも敬うのである。目をひんむき、髪振り乱し、長い舌を出す魔女ランダ・・・・」 (注2)
バロン (注3) &クリスダンスは聖獣バロンと魔女ランダいつ果てることのない戦いを描いた物語で終盤には魔女ランダの黒魔術でトランス状態に入ったダンサーがクリス(短剣)で自らの胸をさすクリスダンスも見ることができます (注4) 。
魔女ランダの舞手もランダの魔力でトランス状態に入っていくといわれています・・・。
バロン・ダンス、クリス・ダンスとして公演されてものは、ツーリスト向けに、短くアレンジされているチャロナラン劇です。バリの暦(ウク)でカジャン・クリオンと呼ばれる霊力の強い日と暗月とに重なった夜に上演されるチャロナラン劇は奉納舞踊で村人の安全と平穏を祈願して寺院で奉納される演劇です。 ランダは時折、飛び跳ねるように踊ります。他方マニスという演奏では、ゆっくりで柔らかく、踊りは優しく踊るそうです。
「トゥンジャンガンの伴奏で踊られるランダは、おどろおどろしい姿の裏に隠された"母親"そして"女性"であるがゆえの深い悲しみや恨みなどを、見るものに心に訴える。思わず、目頭に熱いものが込み上げてくる。」 (注5) ランダは、夫に殉死するしきたりがあったころ、生への執着を捨て去り難い寡婦が墓地に身をひそめて生きながらえていた姿がその原型のようです。ランダが武器とする布はもとは赤ん坊をくるむ布だそうです。このような側面が当然あったのでしょうね。

2.「ガムラン(gamelan)」

背景で奏でられる、いわゆるガムラン音楽は、カジャール(Kajar)という楽器で拍子をキープします。大小の銅鑼、余韻の長い青銅琴などがハンマー型のばちで叩かれ強く響くので、笛が旋律を奏でているのを聞き逃してしまうほどです。この笛が奏でる旋律は琉球民謡のような節回しで我々には懐かしく聴こえます。
琉球音階とバリの伝統音楽「ガムラン(gamelan)」で使用される音階「ペログ(pelog)音階」いずれも「西洋音階で無理やり表現すると、#♭記号なしのミファソシドに近い」「なぜなら、本物のペログ音階は、12平均律からかなりはずれた音を使用しているので、(西洋の)楽譜に表すと随分音がずれてしまうから」だそうです (注6)

「ガムラン(gamelan)」を聴いているとカジャールの淡々とした拍子が永遠の時間リズムのようで、その中を、始原のときの唯一の存在がゆっくり呼吸しているようで、「ヴェーダ」の「宇宙開闢の歌」を思い出します。

「そのとき(太初において)無もなかりき、有もなかりき。・・・かの唯一物(中性の根本原理)は、自力により風なく呼吸せり(生存の徴候)。」 (注7)
ヒンズー教では無限の時間の中で万物が輪廻転生を繰り返す・・・。バリ島にはこの「音」があります。

3.ニルワナ[ニルヴァーナ]

ランダの舞とニルヴァーナ 魔女ランダのマネをしてキャディーに嫌な顔をされていたのは、ニルワナ・ゴルフクラブ (注8) の7番ホールのティーグラウンド上です。ここからは、左手の海の中の岩上に海の神が祀られているというタナロット寺院が見え、とりわけ夕景の美しさは有名です。夕暮れ時には、ティーグラウンド周辺はプレー中のゴルファーが進行を遅らせたむろっているだけでなく観光客が押し寄せ大変な賑わいです。
この海越えの214ヤードのショートホール、絶景ですがパーを取るのは難しいですね。
このニルワナという名称がサンスクリットのニルヴァーナだと気がついたのは実は最近です。
マックス・ウエーバーによれば、ヒンドゥー教ではニルヴァーナ(涅槃)は「原始仏教の場合のように個性の完全な「消散」(寂滅)とは同一視されずに、不安息による煩悩の終焉と同一視される。いいかえればそれは焔の消滅ではなく、風がまったくやんだときに生じるような、たえまない、くすぶらず、ゆらめかぬ燃焼である。」そうです (注9)
仏教が涅槃とは輪廻転生から逃れて『私はここを去って二度とここにはもどらない』というように捉えるのとは違いますね。
そして「ニルヴァーナ(涅槃)・・・は、かならずしも解脱者の死後にはじめて到来するという意味において彼岸的なものなのではない。むしろ正反対にそれはまさに此岸のために、グノーシスの成果として、追求される。」と言います (注10)

バリヒンズー教にはお盆のように祖先の霊が返ってくる「ガルンガン」という行事がバリの暦で210日ごとに行なわれます。七夕飾りのような「ペンジョール」という竹飾りを立てて、目印としてご先祖様が迷わずに我が家へ帰ってこられるようにしているそうです。
9番ホールの右手に現地の人が我々に「お寺」と説明してくれる礼拝所が隣のホールとの間にあり、この日はペンジョールの行事が行われるようで、人がたくさん集まり、飾り立てられていました。夕闇が迫る中、やがて無窮の時を刻むようなガムラン音楽と読経か声明のような歌がそこから聞こえてきました。
その傍らを日本人のプレーヤーが最終ホールを回ります。帰ってきたご先祖様たちに失礼がないように・・・・・・。

(注1):
「バリ・ヒンドゥーにはさまざまな神が存在するが、インドネシア共和国独立後は、建国五原則パンチャシラのひとつにある「唯一神の信仰」に従って、そうした神々は、唯一神サン・ヒャン・ウィディのさまざまな現われに過ぎないと公式解釈されるようになっている。しかしながら、実際のところは、そうした合理的見解を離れた土着的な信仰が根付いており、一般に教義よりも儀礼が重んじられ、その儀礼にもアニミズム、祖先崇拝、呪術などバリ固有の文化的な特質が根強く生き続けている。そして、儀礼の根底には浄と不浄、神々と悪霊、山と海などの二元的対立や輪廻転生を信じる思考様式が存在している。」
(吉田禎吾監修、河野亮仙・中村潔編『神々の島バリ―バリ・ヒンドゥーの儀礼と芸能』(春秋社, 1994年)
(注2):
seikoito氏のプログの一部「魔術すれすれ」
http://ameblo.jp/seikoito
(注3):
バロンは善と悪の戦いの様を描いた物語調の舞踊
10世紀頃のバリの王、エルランガの母であるランダが黒魔術を使うので、エルランガの父により追放される。ランダは、世の中の全ての悪霊をあやつり、エルガンガとの戦いが始まる。ランダと悪魔たちは大変強く、エルランガは聖獣バロンに助けを求める。バロンはエルランガに加勢して戦う。ランダは 呪いをかけ、バロンも同時に魔術で対抗するが高いはいつ果てることもなく続く。
我々が観光客としてみるのはサンヒャン・ドゥダリ(Sanghyang Dedari)とい、バリ島の憑依舞踊のダイジェスト版
(注4):
ウブドで伝統舞踊鑑賞ツアーヒロチャンのバリ島舞踊 & ダンス案内
http://www.bali-dance.com/
(注5):
http://www.apa-info.com/gk_rangda.html
(注6):
探求三昧 by N.Momos何でも探求するブログ
http://d.hatena.ne.jp/nmomose/20101211/gamelan
(注7):
リグ・ヴェーダ讃歌 (岩波文庫) 辻 直四郎 (翻訳)
「一 そのとき(太初において)無もなかりき、有もなかりき。空界もなかりき、その上の天もなかりき。何ものか発動せし、いずこに、誰かの庇護の下(もと)に。深くして測るべからざる水は存在せりや。
二 そのとき、死もなかりき、不死もなかりき。夜と昼との標識(日月・星辰)もなかりき。かの唯一物(中性の根本原理)は、自力により風なく呼吸せり(生存の徴候)。これよりほかに何ものも存在せざりき。・・・・・・」
(注8):
プロゴルファー、グレッグノーマンが設計デザインした海沿いの18ホールのゴルフ場。 入り江に沿った3ホールとバリ島のライステラス(棚田)風景、クリークが随所にあり、池には蓮の花が咲いていたりとか、最高の眺望。
コースの随所に礼拝所がある。バックティーの後ろにグレッグノーマンにちなんだ「shark」というブラックのティーポジションがあり、この海越えの7番は黒214ydになりなかなかの迫力(青194yd白144yd・赤130yd・)
(注9):
マックス・ウエーバー(Max Weber)「ヒンドゥー教と仏教」古在由重訳 大月書店 2009年 同P.255
"あらゆる「物質的根底」(ウパーディ)が完全に排除された状態はのちにニルヴァーナ(nirvana 涅槃)とよばれた。これすなわち世界とのあらゆる結合がうちやぶられた場合に到来するところの心境である。仏教以外の観念においてはそれは、原始仏教の場合のように個性の完全な「消散」(寂滅)とは同一視されずに、不安息による煩悩の終焉と同一視される。いいかえればそれは焔の消滅ではなく、風がまったくやんだときに生じるような、たえまない、くすぶらず、ゆらめかぬ燃焼である。"とする。
(注10):
同p255の要約
解説道(marga 道)の多様性を承認した。行祭、苦行、知識の三つの道であった。しかし業の連鎖をのりこえさすのは、とりわけ知識である。この知識はグノーシス、「観照」(darsana)であって、その救霊論的意義は、それが物質との精神の不祥な結合、すなわち自我の「物質化」(upadhi 限定的添性)を廃棄しうるという点にあった。
(補注)「マックス・ウエーバー(Max Weber)「ヒンドゥー教と仏教」。古在由重訳 大月書店2009年」この組み合わせ昭和20年代に生まれた方は「あれ」と思う組み合わせですね。
古在 由重(こざい よししげ、1901年-1990年)は、唯物論の立場の哲学者。同氏が1942~44年にかけて翻訳していた原稿を校正のうえ出版された。
1984(昭和59)年.古在由重ら党歴30数年の学者党員たちを日本共産党は「党中央の指示に従わぬ」という理由で、除名されるという「原水協事件」 が発生している。日中出版社が「原水協で何がおこったか、吉田嘉清が語る」を緊急出版したが社長と社員3人を査問し、全員を除名した。1990(平成2)年3月、古在由重の死去ほとんどのマスコミが訃報、追悼記事を載せたのに、「赤旗」は、完全黙殺した。 川上徹が、藤田省三らとともに、「古在由重先生を偲ぶつどい」を企画実行、日本共産党は、それを、"除籍した者を偲んだ"規律違反として、川上徹を査問、除籍した。
大月書店(おおつきしょてん)は、かつては日本共産党系の出版社であったが、近年では日本共産党の影響力は衰退し、マルクス主義関連の図書については屈指の刊行数を誇る。
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