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石川清隆コラム

「巨匠とマルガリータ」(Мастер и Маргарита)ブルガーコフ著

1.暖炉にくべられる原稿

「巨匠とマルガリータ」 「優れた才能の持ち主であったセルゲイ・ポポフ (注1) は非業の死をとげた。セルゲイ・ポポフはチャイコフスキーが絶望の発作にかられて焼き捨てたオペラ「軍司令官」 (注2) を復原した。だがポポフが逮捕されたとき、オペラの総譜は再び焼却された。そしてそのあとになって・・パーベル・ラム (注3) がそのオペラをも一度、復原したのだった。」という記述が「ショスタコーヴィチの証言」にでてきます。 (注4)
この部分を読んだときに思い出したのが、学生の頃、進路に迷っているときに読んだ『巨匠とマルガリータ』(当時邦訳『悪魔とマルガリータ』)の一節でした。 (注5)
イエスやマタイそしてピラトが登場するキリスト時代のエルサレムと1930年代のモスクワを舞台にした悪魔とその手下、売れない作家、「巨匠」とその愛人「マルガリータ」が時間と空間とエピソードの間を縦横無尽に活躍する長編小説です。

イエスとピラト (注6) の物語を書いた「巨匠」が無視と非難によって(スターリン時代のお話です)恐怖にかられ、その原稿を暖炉の火にくべてしまいます。そして、恋人であるマルガリータは、最後の燃えさしの紙束を引き出した煙の中で泣きながら
「わたしが治してあげる」
「あの小説を復元しましょう」とつぶやく・・・・。

やがてマルガリータと悪魔は精神病院から巨匠を救いだす。悪魔は「ピラトの物語」を読ませてほしいと「巨匠」に言うと、巨匠は「暖炉で燃やしてしまった」という。悪魔は、「原稿は火なんかでは燃えません」というと手下の猫に「原稿をよこせ」と命じる。すると猫が座っていたところに暖炉で燃やしたはずの分厚い原稿の束があった・・・・・

黒魔術を登場させながら、マルガリータの「巨匠」に対する尊敬と愛情がにじみ出てくる表現が随所に出てきます。

2.託された原稿

この小説のマルガリータはエレーナがモデルだとされています。ブルガーコフ (注7) はエレーナを「マルガリータ」に仮託し、「巨匠」もいつしかブルガーコフ自身のようになっていったようです。1920年代の名声を失い不遇の自分の伴侶となってくれたエレーナへの感謝と愛情は、「マルガリータ」の言葉の中に表れているように思えます。
マタイがあらわれ、イエスが巨匠の小説を読んでおり、巨匠とマルガリータの救済がイエスの意思であることを悪魔に伝えます。
"永遠の隠れ家"と題された第32章では、魔法の黒い馬が引く馬車で、巨匠とマルガリータと悪魔たちが天かける。黒い馬は、闇、たてがみは黒雲、手綱は月の光の環、拍車は白い星屑、そのそりが月の光の道をゆく・・・
やがて二人だけになったときマルガリータは巨匠に『なんと静かなのでしょう』「あなたの人生には与えられなかったこの静寂を!」と見えてきた「永遠の隠れ家」を指さしながら言う・・・。
20代の時に初めて読んで深い感銘を受けました。

この「巨匠とマルガリータ」は1940年病気で失意のうちに亡くなったブルガーコフが12年の歳月をかけて書き上げたものです (注8) 。この小説に出てくる"サドーワヤ通り10番50号室"というところは実際にブルガーコフとその妻エレーナ・セルゲーエブナ(1932年10月結婚)が住んでいたところで、現在は国立ブルガーコフ記念館になっているそうです。ここで、1934年に海外渡航の夢を絶たれ、発表するあてのないブルガーコフが妻エレーナに最後には口述でこの小説の原稿の推敲をしていたそうです。
この原稿がいつか世の中に発表されることを信じていたのでしょう、妻エレーナはこの小説の原稿を隠して時を待ちました。スターリンが死んで(1953)、やがて"雪解け"の時代になった1966年、ブルガーコフの死後26年たってこの小説は出版され、ソビエト以外でも翻訳され、中には20世紀最大の作家の1人と称賛する声さえ上がりました。

3.Rebirth

最近ショスタコーヴィチの「プーシキンの詩による4つのロマンス」作品46 (注9) に関しては著作権もあるので、プーシキンの詩(英語ではRebirthと訳されている)を自分で訳しましたが、ブルガーコフのこの「巨匠とマルガリータ」にもあてはまりそうですね。

"再び生まれた、Rebirth"
芸術家を気取る野蛮人
眠たげに巨匠の絵を塗りつぶす
そして意味のない無縁の絵を 塗りつぶしたうえに描くのだ

時が経過して、そのような無縁の絵の具は、腐った鱗のように剥がれ落ち
巨匠の作品はわれわれの前に以前の美しさをあらわす
すると苦しみぬいた私の魂から妄執は消え、
以前の清らかな日々の姿が 魂のうちに湧きあがる

(注1):
セルゲイ・ポポフ ロシアの音楽学者(1887~1937)同姓同名のマラソンランナーとまちがえないこと。
モスクワの裕福な商家にうまれ、正式な音楽教育を受けなかったが、20歳ぐらいから音楽学的研究に着手し始めた。1920年に彼はチャイコフスキーの最初のオペラの様々な資料から総譜復元に取り組んだ。1930年代にポポフは特権的富裕層出身との理由で連当局から迫害され 1937年9月に虚偽の容疑で逮捕され彼は同年11月処刑された。 彼の大規模なコレクション、書籍や原稿(未発表の彼の復原)を含め、没収され売却され、残りは破棄された。
(注2):
交響詩《軍司令官、(地方長官、とも訳される)》作品78、ピョートル・チャイコフスキーが1891年に作曲した管弦楽曲。
初演時には作品そのものが我慢できず、初演を終えるとチャイコフスキーは、「こんな屑!」と総譜を破棄した。(いい曲ですが)
(注3):
パーベル・ラム(1882~1951)
ヴォルコフの「Testimony、注釈p121N 」によると『音楽学者で、ムソルグスキーやボロディンのオペラのテキストの研究で有名なだけでなく、プロコフィエフの「アレキサンダー・ネフスキー」や「イワン雷帝」などの映画音楽だけでなく「修道院での結婚」op.86、「戦争と平和」 op.91など主要作品のオーケストレーションをした。』
(注4):
ショスタコーヴィチの証言 改訂文庫本(p225~226)
同書についてはColumn No,10を参照してください。
(注5):
『巨匠とマルガリータ』:邦訳
『悪魔とマルガリータ』、安井侑子訳、新潮社、1969年
『巨匠とマルガリータ』、水野忠夫訳(『世界の文学4――ザミャーチン ブルガーコフ』、集英社、1977年)
『巨匠とマルガリータ』水野忠夫訳(『集英社ギャラリー[世界の文学]15 ロシアⅢ』、集英社、1990年)
『巨匠とマルガリータ』(上、下)法木綾子訳、群像社、2000年
『巨匠とマルガリータ』中田恭訳、郁朋社、2006年
『巨匠とマルガリータ』水野忠夫訳(池澤夏樹=個人編集 世界文学全集Ⅰ‐05、河出書房新社、2008年)
(注6):
ポンティウス・ピラトゥス(生没年不詳)は、ローマ帝国の第5代ユダヤ属州総督、新約聖書で、イエスの処刑に関与した総督として登場する。新約聖書に描かれるピラトは最初のうちは、イエスの処刑に消極的であった。
(注7):
ミハイル・ブルガーコフ(МИХАИЛ ВУЛГАКОВ/1891~1940)
略歴はミハイル・ブルガーコフ - Wikipediaを参照してください。
1916年キエフ大学医学部卒業、開業するが内戦に巻き込まれ、1920年代にはモスクワで作家となり成功するが、ブルジョア的と批判され1929年以降は限られ作品しか発表できなかった。
(注8):
翻訳者水野忠夫の「解説」
(注9):
有名な交響曲第5番の第4楽章について、最初の曲、"再び生まれた、Rebirth"の各節のはじめの音、4音が、A-D-E-F、であり交響曲第5番第4楽章冒頭と同じでありこの"引用が特別の意味を持つ"という指摘はエリザベス・ウイルソンやイアン・マクドナルドがその著作のなかでのべています。ショスタコーヴィチが交響曲第5番第4楽章冒頭のはじめの4音に、A-D-E-F、というこの歌曲の音を置いてこの詩を暗示した この「再び生まれた、Rebirth」が、葬り去られた第4番。"音楽の代わりの荒唐無稽"と非難された"マクベス夫人"などを暗示するものだというのがウイルソンやマクドナルドの指摘であり、このプーシキンの詩による歌曲は"言葉によって"歌っており、交響曲第5番のフィナーレ、このプーシキンの詩"再び生まれた、Rebirth"という詩はその構成を暗示するものだという指摘結構おもしろいですね。
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