1.「死せる魂」 (注1)
「なぜ悲劇のない風刺というものの必要があるのか?悲劇と風刺は2人の姉妹であり、互い伴うもの、したがってこの世にかかわっていることによって彼らの名前は …真実」 と、ドストエフスキーは「作家の日記」に書いた。
作家ゴーゴリのその皮肉で風刺的な作品は非難の的となり、ゴーゴリはローマへ去った。そこで書かれたゴーゴリの「死せる魂」は、洗練された物腰と世慣れた調子の「紳士」然としたチチコフが従僕と馭者を連れ現れる。町の有力者たちとじっこんになり「死んだ農奴を売ってもらいたい」と申し出る…。詐欺師チチコフが、「死んだ農奴」の戸籍を買い集めるという不思議な設定である。チチコフは小役人のときからうまく立ち回っていたが、なぜか長続きしない…のではなく、詐欺師の常で、まっとうな仕事に振り向ければそれなりの成果が上がるほど「努力して人をだます」だけで…次がないのだ。しかし、やがてチチコフには「死んだ農奴」というのは何かの隠喩だと、強盗かもしれないと風説が飛び交う。もはやこれまでと思うとチチコフは町を出ていき、また別の町に死んだ農奴を買いにいく…。
農奴に関する課税は、ロシアのピョートル大帝(1672年- 1725年)の時代に始まる。大帝は海軍創設を断行し、「富国強兵」策の財源を確保するために農民たちから「人頭税」という過酷な税を徴収した。農奴は次の戸籍調査(10年ごとに実施)までは生死にかかわらず課税の対象とされたため、納税義務のある地主からチチコフが二束三文で「死んだ農奴」を買い、それを抵当に多額の金を借りて大儲けを企むという話である。
すると「なんで儲かるんだ?」という輩が出てくる。「儲かる」という詐欺に引っかかる人は必ず儲けたいという欲を持っている。それも様々に…道徳的に頽廃した地主、地方官吏…。移動・結婚などの人格的な自由と土地の所有を認められていない奴隷のような農奴制 (注2) を背景にうまく立ち回って富を得ようとする人の浅ましく滑稽な姿が描写されている。
2.「チチコフの遍歴」(ブルガーコフ著) (注3)
この話は「わたし=作家(ブルガーコフ)」の夢の中で、詐欺師チチコフが馬車でなく自動車に乗り、ソ連時代に転生、主人公チチコフと登場人物だけでなく、他の作品の登場人物たちも現れる。革命後のソビエト・モスクワで、革命後でも「人格」は何も変わってない「死せる魂」しか持たない人々を騙し、不正な海外貿易やまがい物商品の売買で巨万の富を短期間で得る。転生した賭博好きのうそつき地主ノズドリョーフ等が酔った勢いでチチコフについて大風呂敷を広げるあたりから「革命社会」の人々の間に様々な憶測が飛び交い、騙されたと気付いた頃にはもう手遅れであった。捜査が開始されるが、チチコフはお得意の証明書類を多数偽造したりして行方をくらまし、国中が大混乱になる。混乱の中で「わたし=作者」が登場し、チチコフを捉え10億ルーブルと宝石を発見して騒動を解決する…。
この富はどこから来たのだろうか。ソビエトでは当時、レーニンが没収した教会財産やかろうじて発生していた自作農=クラーク撲滅作戦を実行し、宝石貴金属や農作物を海外に売り、資金を貯めていた頃である。貴族からだけでなく農民からも国家的強盗・追剥が横行していた時に金や宝石類を持っていた人々は…。
平等社会である建前のソビエト連邦にノーメンクラトゥーラ(номенклату́ра)というエリート層・支配的階級が形成されていた。役職配分に活用され、やがて公式な制度となり別荘や年金などあらゆる面で優遇された。この仕組みはレーニンの時代にすでに萌芽があり、スターリンによって公式な制度となった。ソ連崩壊後もノーメンクラトゥーラ層の一部は新生ロシアの政治家や新興財閥(オリガルヒ)となり、新たな階層(シロヴィキ)を形成している。
3.奴隷制と賃労働、そしてブラック企業
①奴隷制は人権の側面から非難されそれは全く正当な非難なのだが、そもそも奴隷制が熱帯・亜熱帯でのゴム・煙草・砂糖などのプランテーション農業や鉱山など、一次産品における労働では労働者が生産物の直接的消費者とならないため、私有財産を持たない奴隷は効率的であった。しかし二次産品を生産する工場労働者は、製品の消費者となり得るため、賃金労働で国の工業化が進むと、内需拡大策の一つとして、一次産品の労働者についても賃金労働が推し進められた (注4) 。多数の中間層が形成されないと、この内需がないため社会が発展しないからだ。このためには職業選択の自由と住居選択の自由が必要であり、農奴制を含む奴隷制度とは相容れない。
②ソビエトの強制収容所という奴隷制
ここで面白いのは、賃金労働を前提とする社会主義国家で「人民の敵」というレッテルを貼れば大量の奴隷労働力を創出できるため、強制収容所はレーニン、スターリンの時代を通して拡大し、近代においてソ連は事実上の奴隷制を持つ唯一の国家になっていたことだ。収容所に収用された人の数は数百万人から数千万人説まであり、全労働力人口の一割以上を占めたともいわれる。特にスターリン時代は、これらの収容者による労働がソ連経済全体の少なくとも25%を支えていたといわれる。
1934年7月に内務人民委員部直轄の国家保安総局となり、1937年に全国に設置され、弾圧の対象者を拡大した。かくして密告網が各地に張り巡らされ、民衆は息苦しい生活を強いられることとなり、圧制に抵抗する民衆や外国人を弾圧し、次々と刑場や強制収容所に送った。
③「ブラック企業」
「ブラック企業」という言葉が流行っているらしい。どうも「若者を大量に採用し、過重労働・違法労働によって使い潰し、次々と離職に追い込む成長大企業」のことを言うらしい。
ここでは奴隷制ではなく賃金労働の違法性が論じられている。確かにイギリスの産業革命のとき安く雇えるからと、子供や女性が多く長時間使われ、社会問題となった。これでは、母性保護という点や次世代の労働力の育成という点からも、まさに『種もみ』を食い尽くすため、徐々に禁止、制限されていった。「使い捨て」は当面の個別企業には利益をもたらすものの、社会全体からみる次世代の労働力の育成もなく、ある程度の収入ある購買層も形成できないため社会全体がジリ貧となる。これがマルクスやエンゲルスが見て憤慨して「共産党宣言」を書いた、初期のイギリス資本主義の姿である (注5) 。
その後、賃金は契約の自由が制限され、下限の最低賃金が保障され、残業代は払わなくてもよいといったような労働基準法に反する合意は無効というような形で保護されることになった。
以前、このあたりを見据えていたのだろうか、ある経営者は「わが社の賃金制度を『切り取り次第 (注6) 』として完全能力別成果給にしたいと思った。その側面は重要であるが、賃金は生活保障給的な側面を無視しては成り立たないことがわかった」と話してくれたことがあった。
労働力を使い捨てにする「ブラック企業」は、資本主義社会の発展にはマイナスだが、このような形態の労働形態が許されないとするのが憲法の定めるところである(憲法27条2項)。
4.「ブラック企業」のチェック
共産党の議員のサイトに「ブラック企業診断」のチェックリストのようなものが載っている。この党を2~3分析してみよう。
①「残業代を払わない。または、一部しか払わない。」
日本共産党専従(有給の常勤職員)は本部だけで800人、地方も含めると3000人はいるとか言われている。レーニンの言う職業革命家集団であるというのだろうか。この人たちは雇用関係ではなく、準委任契約で「給与」ではなく活動費が支給されているという。当然最低賃金の保障とか、残業代などは発生しないという見解なのだろう。「生活費(党の言い方では、活動費)としては、基本給、年齢給、党歴給で構成され、天引きの厚生年金、健康保険がある。しかし同年齢の一般サラリーマンの年収との比較では、その半分以下である。私の場合、40歳で専従解任をされた時点、天引き手取りは約99,000円だった。」 (注7) という報告もある。
このような常勤職員に労基法や最賃法の適用があるかについては、長谷川 正安(1923年-2009年)という憲法学者は、憲法第21条「結社の自由権」でこのような問題は「司法審査権」がないという意見書 (注8) を書いていたそうだが、労務を提供する契約についてはそれが雇用だけでなく、請負、委任であっても労働契約として労基法の適用があるというのが現憲法のもとでふつうの解釈であろう。このような前近代的な『勤労奉仕』で支えられているようだ。こんな恨み節はネットの中で容易に見つけることができる。
憲法・法律を侵害しないかぎり、政党の組織・運用に関する政党員の相互関係は、政党の内部問題であり、完全な私的自治の領域に属するというのが長谷川正安のご見解のようだ。
また共産党の収入の八割は赤旗その他の出版物の発行による事業収入といっている。購読料と関係出版社の広告収入というが、赤旗の記者は上記の専従扱い新聞販売店のようなものはなく、宅配している党員は無料奉仕に近い状態だという。
議員歳費や公設秘書に支払われた費用は、「本人の意思で」上納させているようだ。
これではまさに『剰余労働価値の搾取』の上に載っている活動どころか、労働の再生産のための賃金すら払っていないことになるのではなかろうか。
なお幹部には無償の住宅や手当、「防衛のため」?とかで専用車もつくらしい。みんな上級幹部の生活にあこがれて頑張っているのだろうか。ソビエト体制では「土地の私有制がないと名声と豊かさは一つの方法によってしか得られない」「政府のポストは国に対する奉仕ではなく個人的豊かさの手段とみなされた。したがって、すべての権力と富をその掌中に収めていた共産主義体制に参与することは地位と財産を勝ち得る主要な手段として理解されていたのである。」というミニ版で、ソビエト連邦にノーメンクラトゥーラというエリート層・支配的階級が形成されたほうがはこんなところにあるのかもしれない。
②「心の病にかかり休職・退職した同僚がいる。」
作家の故井上ひさし(2010年4月死去)と 日本共産党委員長(当時)の不破哲三に対して、日本共産党の提案する政策を問いただすという趣向の対談集がある。「新日本共産党宣言」と題されたこの本は、マルクスの共産党宣言のように「妖怪が…徘徊している」とうようなおどろおどろしい感じではなく、まあソフトムードの共産党宣伝のような文書ですが。
井上ひさしはこの対談集で明らかなように「共産党シンパ」だった。別れた前妻も党員だった(今は不明)し、後妻も高級幹部のお嬢様。井上ひさしは劇作家・小説家で井上ひさし自身は「自分は共産党員ではない」と言っているが、まわりの環境はほとんど共産党に固められている。
井上ひさしの個人事務所、井上事務所で秘書業務にも従事し、戯曲を専門に上演する 「こまつ座」 でも雑誌の編集をしていた58歳の男性が2010年6月、ビルから飛び降り死亡した。井上ひさしが死去した後、つまり自殺前2ヵ月の時間外労働は1ヶ月平均100時間を超えており、労働基準監督署は、この月100時間を超える残業などによる過労が原因だったとして労災と認定した。}
この男性は、2010年5月頃総合病院を受診(内科)、精神科を受診するように勧められたものの受診する前に自死に至ってしまったが、いかに有名人の秘書だからと言っても本人の死後にマスコミ対応に追われるということは、やや疑問な説明だし、労災給付のほかに、民事的損害賠償をきちんと支払ったのかどうか全く説明がない。不思議な話だと思う。遺族の代理人弁護士は「文化芸術活動の業界では、労災の申請すらしていないケースが多いと思われる。今回の労災認定を業界は真摯(しんし)に受け止め、労働条件の改善に努力してほしい」と話しているそうだが…。
5.妖怪馬鹿[むましか] (注9) と狐者異[こわい] (注10)
妖怪「馬鹿(むましか)」にとり憑かれた者は愚かな行いをし、やがては凋落するという。マルクスは、共産党宣言で「一つの妖怪がヨーロッパにあらわれている、――共産主義の妖怪が」といい、そして高らかに「共産主義者がその見解、その目的、その傾向を全世界のまえに公表して、共産主義の妖怪談に党自身の宣言を対置すべき時が、すでにきている。」と述べた (注11) 。しかも歴史的事実は、やはり「妖怪」であり、これに憑かれた者は愚かな行いをし、やがては凋落するという「馬鹿(むましか)」に似ている。 また妖怪「狐者異(こわい)」のようである。狐者異は「高慢強情」の別名であり、生前に他人の食べ物まで食べてしまうような者が、死後にその執着心を引きずっているため、死んだ身でもなお店を襲って食べ物を奪い、ゴミ箱の生ゴミを漁り、死肉すら口にするというこの妖怪になるという。理想を言いつつその現実的な可能性は一切議論をしないで、自分がやっている事を全く見ないようにしつつ、批判者は全部敵だと考えて終始人の悪口をいうような輩は昔からいる…。
「高慢強情」の妖怪狐者異(こわい)と「馬鹿(むましか)」は2人の姉妹であり、互い伴うもの、したがってこの世にかかわっていることによって彼らの名前は…。
- (注1):
- 『死せる魂』1842年出版。ニコライ・ゴーゴリの長編小説。
本来は第2部も書かれたが、最晩年になってゴーゴリが暖炉に投げ込んでしまったので、断片がのこっている。 - (注2):
- 皇帝アレクサンドルⅡ世は、1861年農奴解放令を発布し、これにより農奴に人格的な自由と土地の所有が認められるようになった。しかし実際には土地はほとんど与えられず、領主が持っていた土地は農民が購入しようとしても買えるような金額ではなく「解放」されても元のままであった。また当時、社会改革をめざす都市の知識人が「ブ・ナロード(人民のなかへ)」の標語を掲げて農民に社会改革のための教育をしようとしたが、農民には相手にされず、これに絶望した知識人達はテロを開始。1881年3月、アレクサンドルⅡ世はこうした連中によって暗殺されてしまう。作家ドストエフスキーの作品が発表された1848~1881年がちょうどこの時期にあたる。
- (注3):
- 短編集「悪魔物語」(1925年)に収録。ゴーゴリの「死せる魂」のパロディーの1編。
- (注4):
- この思想的背景はコラムVol.20参照。
コラムVol.20はこちら - (注5):
- 「剰余価値の搾取」については、コラムNo.19を参照
コラムVol.19はこちら - (注6):
- 戦国時代、自分の領地を取り上げられて敵地に攻め込み、占領できた分だけ自分のものになるという恩賞の与え方。1582年6月1日の本能寺の変の直前に、光秀は信長より、石見・出雲を切り取り次第でその領土を与えることを告げられ、その代わりとして丹波、近江坂本の領地を召し上げが決まった。
- (注7):
- http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/system.htm#dai41 より。
- (注8):
- http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/hasegawa.htm より。
- (注9):
- 百鬼夜行絵巻に収録されている妖怪。馬の顔に鹿の体を持ち、顔は「馬鹿」という名を表した様な滑稽な表情をしている。この妖怪に関しては多田克己・京極夏彦著の妖怪図巻でも言及されている。
http://youkaiblog.blog75.fc2.com/blog-entry-181.html - (注10):
- 江戸時代の奇談集『絵本百物語』にあらわれる妖怪。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/6261/youkai/kowai.html - (注11):
- 「共産党宣言」マルクスエンゲルス 大月文庫