石川綜合法律事務所

石川綜合法律事務所

石川清隆コラム

国宝三題2

3 長谷川久蔵筆 桜図 国宝 智積院蔵

国宝三題2平成22年2~3月特別展「長谷川等伯」(注1)が開催されていました。
この展覧会の紹介番組を見ながら、家族で食事をしていた時のことです。
国宝の「松林図屏風(しょうりんずびょうぶ)」(東京国立博物館蔵)とともに京都・智積院(注2)蔵の「楓図(かえでず)桜図(さくらず)」が画面に現れ、テロップが流れました。

「・・・・国宝 長谷川等伯筆 楓図・・」「・・・・国宝 長谷川久蔵筆 桜図・・・」。
それを見た途端、なんとなく目が潤んできて、「ぁ~あ!国宝になっている。真筆と認められたんだ。」と呟いてしまいました。

今でこそ、これらは障壁画の至宝とされていますが、平成6年ごろ智積院の収蔵庫で見た時は、まだ"長谷川等伯筆" "長谷川久蔵筆"との説明書きがあり、長谷川派の作品であるとされていたものの、文化財としては無指定でした。

この桜図・楓図を最初に見たのは、昭和40年代終わりの学生の頃、京都の大学に在籍していた友人に誘われて智積院に行ったときのことです。
庭園は、築山の前面に池を掘り、ともに、山のところどころや山裾に石組みを配し、小径をつけ「利休好みの庭」などと言われております。桜図・楓図の障壁画で飾られていた大書院はこの庭園に面して庭園の池が書院の縁の下までに入り込んでいます。
書院に座ると、舟型の石の蹲が縁先にあり、心地よい水音がどこからともなくしてきます・・・。

友人: 
「私はこの楓図は、等伯の真筆と思う。才気煥発で力がほとばしるような画風、等伯だけよ。このように描くのは。」
自分: 
「いい絵だと思うけだけで、誰のものと論じる知識がないよ。でもなんで不自然なつぎはぎされているのだろう。」
友人: 
「火事で焼けた部分を切ったとか、この書院の大きさ合わせたとか・・・。元のまま残っていたらさらにすごい迫力。壮麗で、かつ生命力あふれる楓の幹と、楓の葉や草の描写は繊細ながらも線が鋭い。」
自分: 
「そう思うけど・・・。」
友人: 
「隣の桜図は、画風からすると等伯ではなく、息子(注3)のものでしょう。線が等伯より優雅で、一層、華がある。桜の花びらは胡粉で丁寧に描かれている。それが老いたる木ではなく、壮年の大樹に花が咲けるがごとく(注4)・・・等伯より才能があるわ、この画こそ、国宝中の国宝。」

20代になったばかりの学生二人の生意気な会話です。不思議なことにこの会話は書院の中か、収蔵庫の中かはっきり思い出せないことです。思い出すと友人の言葉ははっきり思い出せるのですが、こもった響きで滴り落ちる水音と庭の風景がミックスされてしまうからです。

平成22年3月、東京国立博物館の展覧会場で十数年ぶりに「楓図」と対面しました。
瞬間、「才気煥発・・・」という友人の言葉を思い出しました。(隣にあるはずの久蔵の「桜図」は出展されませんでした。)

残念なのは、この友人と国宝になった「楓図」「桜図」を再び共に愛でることが叶わなかったことです。友人はやがて美術の研究の分野に進みましたが、早逝してしまいました。
この人はもう一つ教えてくれていました。
「この楓図、桜図を灯明のもとで見てみたい。薄暗い感じの中でわずかな光のゆらぎに照らされたら、さらに・・・。」

(注1):"没後400年 特別展「長谷川等伯」"東京国立博物館(2010年2月23日~3月22日(平成館)

(注2)秀吉が我が子・鶴松を弔うために建てた祥雲禅寺(しょううんぜんじ・智積院の前身のお寺)庭の原型が造られ、等伯率いる長谷川派が総力を結集して『楓図』『桜図』を描いたと伝えられている。大書院は火事で焼け、規模を小さく再建された。

(注3)長谷川久蔵 長谷川等伯の長男。画の清雅さは父に勝り,その才能は抜きん出ていたと伝えられるが、26歳で没した。 智積院蔵の最も優美で繊麗な「桜図」を久蔵の最後の仕事とされている。

(注4)「ただ老木に花の咲かんがごとし。」世阿弥 「風姿花伝 第二 物学条々 老人」

石川綜合法律事務所のご案内

石川綜合法律事務所

〒107-0052
東京都港区赤坂6-8-2-801
TEL:(03)3582-2110

石川綜合法律事務所 地図

石川清隆コラム

ページトップに戻る

石川綜合法律事務所