石川綜合法律事務所

石川綜合法律事務所

石川清隆コラム

名曲茶室「あらえびす」

高校から学生時代、高田馬場の「水車」という居酒屋の路地を入ったところにあった名曲茶室「あらえびす」旧店に通っていました。木造のロッジ風の内装、真空管アンプ (注1) 、スピーカーはTannoyの一番小さいものが置いてあり、リクエストを書き込む黒板の記入順にLPレコードを聴かせてくれました (注2) 。幼少期、SPレコードの電蓄で育った僕にはここの音は心地良い音色でした。

当時は学生の毎月の仕送りが1万円 だと"Poor"、2万円だと"Very Rich"という時代で、LP レコードは\2,000とかなり高価なものでした。家庭にこれほどのコレクションを持てる人は、かなり少数でした。
バッハからストラヴィンスキーまで、ここで勉強させてもらいました。 (注3) また、持ち込んだLPレコードをかけてもらうことも出来ました (注4) 。リクエストは、ワーグナーのワルキューレ全曲(4時間超)も、マイスタージンガー全曲も、タイスの瞑想曲も、全て1曲扱いで、コーヒー1杯で本を持ち込んで何時間も粘って聴いていました。
(かなり後に、ショスタコーヴィチの「音楽は、人間の心の奥底まで光をあてるので、それゆえにこそ、音楽は人間にとって最後の希望、最後のよりどころとなるのである」( (注11) という言葉に接し、つくづく感動した覚えがあります。)

しかし問題がいくつかありました。オペラ、楽劇を聴いても音楽と歌だけでは何をやっているのかさっぱり分からない部分が多かったことです。例えば、ワルキューレでは岩山で火に閉じ込める前にヴォータンとブリュンヒルデが長々と歌っている部分 (注5) 、何をやっているのかさっぱり分からなかったり、マイスタージンガーでマイスターが青年騎士に歌を教える場面も歌が切れてセリフが入るのですが (注6) 、このようなものは到底聞き取れるものではありませんでした。これらはかなり経ってから、LDやDVDで舞台演出と、字幕をみて、ようやく"ほとんど西洋歌舞伎"という感じで理解出来ました。

また、今は大好きなバッハも、SPレコードが片面数分の録音であったのか、当時知っていたのはブゾーニが編曲したシャコンヌの録音 (注7) でした。 管弦楽組曲とか、カンタータはすぐに耳になじむのですが、平均律クラビーア (注8) は、チェンバロ一台で演奏されるため (注9) 、まったくこのポリフォニーが理解できないという状態でした。

20歳くらいのときでしょうか。グレングールドがピアノで平均律クラビーアを弾いた録音はかなり賞賛されていました。またリヒテルが録音したレコードも発売されて、"ポリフォニーは、それぞれの旋律が個性をもった合奏なんだ"とバッハ好きの友人がかなり勧めてくれたのですが、その価値がにわかには分かりませんでした。

あるときこの友人が、「あらえびす」にそのバッハのリヒテル盤を持ってきました。
ハ長調の分散和音のプレリュードから始まりましたが、数曲聴き終わっても、自分がこの曲を理解出来ていないことだけが分かりました。
13番目の嬰ヘ長調 (注10) の前奏曲が始まった時です。友人が耳元でささやきました。
「この曲はあなたに初めて合ったときの私の気持ち」
そして、3声のフーガが始まると「これは今あなたと一緒にいる私の気持ち」と。
曲がまるで理解出来ていないながらも、なんだかドキドキしていたことだけは覚えています。

やがて、リヒテル盤を買い、自宅で何度も擦り切れるまで聴きました。すると、記憶した音の中から美しい世界が聴こえてくるではありませんか・・。
バッハが好きになったのはこの友人のおかげです。平均律13番目の嬰ヘ長調の曲を聴くと今でもなんとなくロマンチックに聞こえるのはリヒテルの演奏のせいでしょうか。

(注1):OLDタンノイのⅢLZ、デンオンの目玉焼きターンテーブル、LuxのアンプでプリがCL35、メインがNCE製双三極管"50CA10を使用したMQ60、グレースのアーム、カートリッジであったと記憶しています。

(注2):ここのレコードは「あらえびす」をペンネームとしていた野村胡堂のコレクションだったそうです。
野村胡堂・あらえびすは、明治15年岩手県生まれ 、 大正13年、「あらえびす」のペンネームを使って報知新聞のコラムに音楽漫談「ユモレスク」を連載。昭和6年に文藝春秋社「文藝春秋オール読物号」に"銭形平次"掲載し、以後26年間書き続けた。昭和38年4月14日、死去。

(注3):トスカニーニ、フルトヴェングラー、ルービンシュタイン、ハイフェッツ、など指揮者・演奏者も往年の巨匠のものでした。

(注4):僕が持ち込んだものは、
 1. ミトロプーロス指揮 NYフィル,フランチェスカッティのブルッフのVn協奏曲No.1
 2. コンドラシンのショスタコーヴィチの交響曲第4番(LP 2枚)、交響曲第13番[バビヤール
 3. リヒテルのバッハの平均律第1巻[LP3枚]

(注5):ヴォータンの命令に逆らってジークムントを助けようとしたブリュンヒルデは命令に背いた罰として、神性を抜き取られ、通りがかりの男の妻となることを宣告されます。ブリュンヒルデはヴォータンの真意をくみ取った行為だといって、「下らない男の妻になることだけは・・・」と懇請します。ヴォータンは岩山の頂に彼女を寝かせ火の神ローゲによってその周りを炎で囲み、"神である私とこの炎を恐れない者だけがこの火を超えるのだ!」と歌って去っていきました。

(注6):才能のある青年ヴァルターはマイスターにならなければ恋する彼女と結婚出来ませんでした。でも規則とかはまっぴらごめんという態度でした。
ザックス(マイスター)は青年ヴァルターに「青春の日に恋の力強い衝動が胸を豊かに膨らませる時に、美しい歌曲を歌うことは誰でもできることでしょう」「春それ自体が歌っているのですから」更に「夏が来て秋が来て冬が来て」「結婚生活は、子供の洗礼、商売、喧嘩 争い 訴訟、心労や苦しみと共に、そんななかから青春・春をうたうことはマイスタージンガーにして初めて出来るのです」と言って若い青年に歌の規則を教えます。
しかし第2節まで作って青年はもうこんなものはいいと言ってしまいます。ベックメーサとの掛け合いが入りしばらくして恋する彼女が現れます。
ザックス(マイスター)は青年に「今日は美しい歌を聴いたが第3節はもうできているね」と言って、青年ヴァルターは彼女を目の前にして歌いはじめたのでした。
「星が美しく瞬く。それが乙女の髪の毛に止まり輝くか如く」「全ての乙女の中にも増してこよなく気高き姿、光に輝く星の冠を戴いたその姿」「エヴァ」(恋人の名前)ザックスは呟きます。「これこそがマイスタージンガーの歌」と・・・・。

(注7):ブゾーニ(1866‐1924)作曲家,ピアノ奏者。イタリアで生まれ、ドイツで少年時代を過ごします。ピアノの一巨匠人として名声を博し、作曲家としては古典、殊にJ.S.バッハの編曲を残しています。この編曲は、主旋律と伴奏で超絶技巧曲に編曲することで、装飾的な音符の数も多く、一挺のヴァイオリンでポリフォニーで宇宙を描いたとよく言われるBachの原曲とはかなり異なります。

(注8):第1巻 (BWV846~869)

(注9):「あらえびす」に有ったのはグスタフ・レオンハルトが弾いたチェンバロ版

(注10):BWV858

(注11):ショスタコーヴィチの証言 邦訳初版p334

石川綜合法律事務所のご案内

石川綜合法律事務所

〒107-0052
東京都港区赤坂6-8-2-801
TEL:(03)3582-2110

石川綜合法律事務所 地図

石川清隆コラム

ページトップに戻る

石川綜合法律事務所