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石川清隆コラム

コラム29 倒立したヴェルトガイスト(=世界精神)ポルターガイストたちの特殊な相対性理論

コラム29

1.馬に乗る「世界精神」

今回は、難解を極める哲学者ヘーゲル (注1) から・・・・・
イエナ会戦 (注2) でナポレオンに敗れたプロイセンは、イエナを占領される。このとき、街を凱旋するナポレオンを窓の外に見たヘーゲルは「世界精神が馬にのって通る」と、手紙に書き、これが後に有名になりました。
このナポレオンのような「歴史的個人」とは「世界精神(WeltGeist)」の自己実現のために役割を与えられた個人のことで、世界精神Weltgeist (ヴェルトガイスト)とは、ヘーゲルが使った言葉で、これは何かオカルト的な超心理現象のことではありません。 それは分厚いヘーゲルの主著「精神現象学」のなかでは、世界精神が歩んできた知の歴史を逆に、人間の精神(意識)はどのように成長するか、そのプロセスを、素朴な感覚の段階から「絶対知」に至るまで、克明に描き出した (注3)
しかしこの「精神現象学」、ドイツ語原著も難しいのでしょうが、かつてその邦訳も何度読んでも意味がつかめないという代物で、英訳本を辞書を引きながら読んでやっと何を言っているか分かったという話がままありました (注4)

2.有名な「弁証法」とは

またこの「精神」の発展は、よく聞く「弁証法」によって一貫して説明されています。ここを忘れると、難しくわからない説明の渦の中で読み手は溺れてしまいます。
たとえば、ヘーゲルはまさに混沌のなかから「自己意識」と対立する「他の自己意識」を知るとそれが、止揚され、つまり「合」わさって「理性」になるというように、必ず「同じ質の対立物」を発見してそれが、上位のものに転化する(止揚)という説明をします。

「精神」の章で、ヘーゲルは人間の歴史もまた、実はこのような展開・発展のプロセスとして見ることができるといった。「世界精神」が現実の世界で展開していくのが歴史であり、精神の発展過程を記述したのが精神現象学である、という。
ナポレオンのように、世界精神を体現していると神のように歴史の大局的な流れが読め、その通りに行動出来る。ナポレオンこそ世界の歴史そのものであり、世界精神を実現している人物ということになる。

3.これまた難しい「外化」とはなんぞや

ヘーゲルの論法を見ると、社会やその構造とはなれた主観的な「精神」を論じているのではなく「総ての存在」が、「精神」が自己を自分の前に対象として対比、展開していくものという。そのためには「精神」は、自己を自己の外に「外化」するといいます・・抽象的に「何らかの事物や事象として対象とするこれが外化です。」というからわかりにくいのですが、人と自然や社会とのつながり、「分業社会で労働を通して人が生産するもの,それを消費するもの、労働の成果を支配しようする」関係なども前提となっています。精神が自己を「外化」するといっても一挙にできず、いろいろ段階を経る過程はこのような「歴史的事実」から抽象されています。
実際、ヘーゲルは青年時代にフランス革命に遭遇し、そして革命がテロリズムに陥っていく過程をつぶさに見ている。そこで見た「理想」と「現実」の乖離がこの著作の原動力になったといわれています。

4.有名なマルクスの「逆立ち」論

ヘーゲルは世界史を絶対精神の歩みと考えたのですが、マルクスは生産力の発展と考えました。マルクスは、『ヘーゲル法哲学批判序説』で、この人間精神の発展こそ世界史の発展そのものであるというヘーゲル哲学を「逆立ち」していると批判した。
「生活する人間の発展が世界史を発展させる」という、のちの史的唯物論を確立する萌芽ヘーゲルが精神・観念を中心にして世界史や社会を分析したがマルクスはそれを物質を中心に世界史の発展や社会を考えようとした。
史的唯物論は、人類の歴史は「階級闘争の歴史」であり、階級闘争を生み出し、更にこれを激化させる原動力になるものは生産力の発展であるとします。重要なことは、「階級闘争を行う者も、又生産を発展させる者も、それは人民大衆である」と言う。「個人がしばしば社会の運命に大きな影響をあたえる。だがこの影響はその社会の内部構造によって、またその他の社会に対するさまざまな関係によって規定される。」という (注5)

5.ヘーゲルの警告・・・疎外論と「絶対的」自由の狂暴性

あまり、議論されていないところですが、ヘーゲルは、精神現象学において面白い分析をしています。「絶対自由」の精神が生み出したものがフランス革命後の恐怖政治(ロベスピエールによる恐怖政治)であるとしています (注6) 。僕が読み取った限りでは以下のようなことです。
フランス革命について "精神"は、やがて神や王は、決して絶対的な存在ではなくこれを、打ち倒す必要があるのだと。一切は自己ためにあると主張するのが「絶対自由」だ。そして、この「絶対自由」は、分割できず承認する他の「絶対的自由」がなく、したがって対立するものをもたない・・・その行きつく先は、「絶対自由」は「世界はこの自己意識にとっては端的に自分の意志であり、またこの意志が普遍意志である。」となる。
このような精神が実際に行動を起こせばどうなるか。「絶対的自由」はただ破壊する狂暴性を発揮する、恐怖のテロリズムである。これはロベスピエールによる恐怖政治のことをいっている。フランス革命後の恐怖政治は、まさにこの「絶対自由」の精神が生み出したものだったのだ。
 そして革命がテロル(恐怖)まで進行し、この純粋に肯定的な「絶対的自由」は、対象物を「完全に否定的なもの(テロル)」として現実に体験するようになり、この対立が止揚されることによりⅦ「道徳性」の領域に発展していく・・・・・。

6.マルクスの「真の自由」、「疎外」からの解放

マルクスは眼前の資本主義に対する分析から「疎外」の現実を説明しようとしました。
人間が作り出したシステムや経済機構、社会機構、国家機構などによって、人間が支配され、生産物を搾取され、無力化され、主体性を喪失し、人間性が崩壊していく、これが疎外なのです。 マルクスは、歴史を私的所有(私有財産)の運動・展開として捉えています。そして私有財産や商品生産が残存する限り、疎外はなくならないと考えたのです。
 マルクスは当時、資本主義の産業革命後のイギリスでの労働者の搾取、またフランス革命後のパリでの、労働者の悲惨な疎外状態を告発しなければならないと考えたようです。
 「疎外を克服するには、生産物や生産手段を血の通った自らの身体と見なせるようになることが前提となるのではないか、人間同士も対立関係ではなく共に生産・流通・消費を行なうというシステムをつくらなければならないが、そのためには、これまでの歴史の原動力でもあった「私的所有権」を廃止されなければならない」とご託宣あそばされたのです。
 ヘーゲルは、「絶対的自由」などはそれ自体ブレーキのない考え方だから、暴走しテロルに走る。その現実での結果を、悲惨な『自由の破壊』という負の遺産を受け止めてのみ、その次の段階に上昇できるのだと警告していたわけですが、マルクスは、「人間を疎外する根源となっている私的所有権を廃止すれば、達成できるのだ」としたわけです。

7.20世紀の「千年王国」たちの蜜月・・・・

ちょっと現代史を振り返ってみても「千年王国」という言葉が出てきます。これは『鶴は千年』とは関係なく、もともとは神学的な問題で、「ヨハネの黙示録」の中の一節を、「最後の審判」以前のキリストが再臨ののちに地上にメシア王国をつくり一千年を統治するだろうと書かれていると解釈することからはじまったものです。
「戦争と革命」の20世紀、フランス革命後の双子の悪魔と呼ばれる共産主義とナチズムが権力を掌握しました。 かのヒトラーは「アーリア人(ドイツ人)こそが世界最高の優れた民族で、それ以外はすべて劣等人種に属する。なかでも、ユダヤ人は最も劣った民族」とし、抹殺を唱えるとともに、人種民族差別を正当化する政策を推し進めていた。アーリア人の人種的優位性のもとで、世界統一国家の実現を掲げ「ナチスは千年の長きにわたって帝国を築く」といったそうです。
他方で、スターリンが極左、ヒトラーは極右という政治的イデオロギーの違いはあるものの、その根底にある『人類救済思想』、最後の審判前の『千年王国』思想は、同質のものがあると思います。ソ連の指導者レーニンは「階級なき社会において人類は必然の領域から自由の領域に飛躍する」とか言っていました。 これは、「絶対的自由」の確立論ですね。神をもしのぐ「前衛党」が真理の具現を指導するというドグマに基づく、「千年王国論」でしょうね。
そしてテロルや略奪・粛清は、この「千年王国論」によって正当化され、テロルはやがてくる人類救済のために積極的にやるべき正義の行為とされてしまう。KGBの前身であるチェーカー(全ロシア非常委員会)で、私有財産の強奪、逮捕状なしの逮捕や無制限の拷問、裁判なしの処刑などを認め、強制収容所を作ったのは、レーニンであり、スターリンはそれを引き継いで拡大しただけです。
そもそもマルクスらの『共産党宣言』はタイトルからして、『共産主義とは何か』について書いたように思えますが、その記述はありません。その共産主義とは、『階級的性格のない個人的所有の実現』といった表現のみです。 まあ、「人類救済」のためには何をやってもよいのですから、スターリンのような独裁者が出てくるのはこの社会構造的必然でしょうか。ナチス党とドイツ共産党は鋭く対峙していたかのように言われていましたが、ヒトラーが政権を掌握する際、ナチス党が国会の議席の3割しか取れないのにスターリンはドイツ共産党に、社会民主主義者との共闘を拒絶させその政権奪取に協力しました。そして、その後、ドイツ共産党は「国会放火事件」でお払い箱になっただけです (注7)
バルバロッサ作戦 (注8) 開始まで、ソ連とナチスの間では、領土分割、文化交流なども結構お盛んでした。
でも、デミトロフ (注9) という人がドイツの国会議事堂放火事件に関与した容疑で逮捕されるが「裁判で検察を論破し、翌年、無罪釈放された。」として英雄視されていました。 他方、デミトロフはコミンテルンで「反ファシズム統一戦線戦術を提起し、採択された。」「こちらでは今までの非合法的闘争を改めて、社会民主主義者(リベラル)も含む広範囲の社会主義者と手を結び、各国の実情に応じて時の政府とも手を結んで、社会主義改革を進めるというもの」とのことでナチスと共産主義は対立しているんだという演出がなされていました。(しかしその後、独ソ不可侵条約締結により、スターリンの指示で反ファシズム統一戦線戦術は棚上げされた。)
いずれの「千年王国」もボルシェヴィキのような「全知全能の前衛党」やナチのような「人種的優越論」というドグマを前提とする、なにをやってもよい「新人類」の存在を前提にしていましたが、ナチス・ドイツはヨーロッパに戦禍を拡大し、自国民500万人を犠牲にして、何百万人といわれるユダヤ人を虐殺して、1945年5月の降伏によって、この「千年王国」は12年で崩壊しました。
ソ連の「千年王国」も粛清で数千万人、独ソ戦で2000万人の自国民を犠牲にして1991年、経済的政治的体制が瓦解して終焉を迎えました。74年間でした(20世紀に共産主義者が全世界で殺戮した人は1億人を超える)。 さすがにこれらの崩壊を「ちょうど千年目」とは言えなかったので、マルクスレーニン主義信仰を捨てられない人々は、「あれは社会主義国ではなかった」 (注10 ・・・・「白馬は馬ではない?!」 (注11) ・・・と言い出しました。
「社会的生産力の不可逆的増大」にともなう社会体制の段階的発展が「法則的」なものと決め込んでいるわけです。いつかは「理想と予定」されている(「千年王国」=「社会主義」の過渡期を経て「神の国」=「共産主義」の実現)歴史発展を「必然」とみなす考え方を捨てられないのでしょうね。

8.「絶対的自由」のテロル

この20世紀の暴虐なテロルは、「真の自由・平等」を掲げる精神が生み出したものとして、とらえてはいないようです。「絶対的自由」は自己が思っていることがうまくいかないことは、それを妨害する「敵」がいるとするからで、理想の実現を阻害するものを抹殺しようとするからです。カンボジアでフランス留学経験のあるエリート、ポル・ポトは「平和で自由な理想の農業社会を創ろう」と思っていたようです。そこで、都市から住民を追い出し、貨幣をなくせばよいと考えました。当然うまくいきません。すると自分の考えが間違っていたとは思わず、「敵」が邪魔をしている、アメリカ帝国主義だけでなく国内の「人民の敵」それは、知的なエリート、分業の専門職などが、いる限り、「明るい農村社会」は築けないとして、自国民を片端から虐殺して、カンボジアの人口の3分の1以上を殺し、「明るい農村社会」どころか[キリング・フィールド]をつくりあげました。
たとえば、"『スターリン』の1930年代半ば、「農業集団化」に始まった専制化の流れが36~38年の「大テロル」――何十万の人間の生命を奪った暴挙で本格的な体制となる。"この歴史的現実を見ながら、「あれは社会主義と無縁なものだ」とか、スターリンが「自分の専制支配の邪魔になると思われる人々を何十万も抹殺し、何百万の規模で弾圧を加えたのは・・・・・・、社会主義や革命の精神を、ひとかけらでも胸に残している者には、絶対にできないことです。だから、この時期を経て以後のスターリンは、そういう「巨悪」へと完全な変貌をとげている」という考えは、未だ、ヘーゲルの警告が理解できず、「絶対的自由」を掲げている、政治的ペテンであると思います。

(注1):
ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel 1770-1831) 、ドイツの哲学者でありドイツ観念論を代表する思想家である。
(注2):
イエナ会戦  1805年、ナポレオンはアウステルリッツの戦いで勝利し、神聖ローマ帝国は解体され、フランスの影響下に置かれたライン同盟が結成、これによってフランスの覇権は中部ドイツまで及ぶ事となった。イエナ・アウエルシュタットの戦いは1806年10月、ドイツのテューリンゲン、イエナおよびアウエルシュタットで行われた戦闘である。ナポレオン1世率いるフランス帝国軍と、フリードリヒ・ヴィルヘルム3世率いるプロイセン王国軍が交戦した。この戦いの結果、プロイセン軍は甚大な損害を被り、完全に壊滅、プロイセン全土がフランス軍に制圧された。
(注3):
意識はこれまで、意識→自己意識→理性と展開し、ついに「事そのもの」の自覚という境地に達したという。
ここで、発展を説明する論理として使っているのが、有名な弁証法です。
弁証法は、対立を克服する動きのことで。正と反とは、お互いに相容れないようなものです。主体と客体で、ヘーゲルは「自己意識」と対立する「他の自己意識」を知るとそれが、止揚され、つまり「合」わさって「理性」になるとするなど、主客合一で対立が克服され正と反との区別は解消されて今度は「合」は、新しい「正」になるわけです。
(注4):
今では英訳はWeb 上で見られます。
こちらのページから
(注5):
プレハーノフ著、木原正雄訳 「歴史における個人の役割」岩波文庫、岩波書店P.62など
(注6):
「Ⅳ「精神」B文化と文明、1自己疎外された世界」において「(Ⅲ)絶対自由とテロル」
(注7):
ヒトラー政権成立直前の当時、共産党はコミンテルンの指示のもと社会民主主義を敵視する社会ファシズム論へ傾いて社会民主党打倒という点でナチスとは協調路線をとっていた。「ナチスは社会民主党の組織を破壊するがゆえにプロレタリア独裁の先駆である」と述べ、これを受けて共産)は「ナチスの政権掌握は必至であり、その時共産党は静観するであろう」と述べていた。
(注8):
こちらのページから
(注9):
ゲオルギ・ディミトロフ(, Georgi Dimitrov, 1882年- 1949年)はブルガリア首相、コミンテルン書記長。
1923年、ブルガリアの9月蜂起に参加したが失敗し、国外亡命。欠席裁判で死刑判決を受ける。亡命中、ブルガリア共産党員として活動し、1933年、ベルリンで発生したドイツ国会議事堂放火事件に関与した容疑で逮捕される。裁判で検察を論破し、翌年、無罪釈放された。1935年、コミンテルン書記長となる(43年まで)。1935年、コミンテルン第7回大会で反ファシズム統一戦線戦術を提起し、採択された。しかしその後、独ソ不可侵条約締結により、スターリンの指示で反ファシズム統一戦線戦術は棚上げされた。
コミンテルンの解散(一九四三年)とともに国際情報部長としてソ連共産党の組織に組みこまれ、ソ連のために秘密工作者を選定する役目果たしていた、野坂参三がソ連の赤軍情報部門につながる工作者となったのも、このディミトロフが人選してスターリンに推薦した結果であったといわれる。この野坂は長く日本共産党の党首格であったが、スターリンの粛清下での山本懸蔵、その他同志の密告したことが明らかとなり100歳で除名されたがその手紙の宛先はディミトロフであった。
(注10):
日本共産党綱領(2004年1月17日)の要旨
ソ連と東ヨーロッパ諸国での支配体制の崩壊は、「社会主義の失敗」ではなく、社会主義の道から離れ去った覇権主義と官僚主義・専制主義の破産であった。これらの国ぐにでは、「革命の出発点においては、社会主義をめざすという目標が掲げられた」が、「指導部が誤った道を進んだ結果、社会の実態としては、社会主義とは無縁な人間抑圧型の社会として、その解体を迎えた。」とかいてあります。
(注11):
公孫竜(古代中国の哲学者・論理学者・政治家)の詭弁。
「白とは色の概念であり、馬とは動物の概念である。であるから、この二つが結びついた白馬という概念は馬という概念とは異なる」というもの。
「社会主義は歴史の必然で、共産主義移行するもので、崩壊することはない。崩壊したのは社会主義でなかったからだ」という論理なんでしょうね。
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