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石川清隆コラム

コラム30 『華氏451』の心をもつ人々

1. SF映画、「華氏451度」

コラム30温度「華氏451度(≒摂氏233度)」は紙の燃え始める温度という。これを題名とした 近未来SF映画、「華氏451度」は「徹底した思想管理体制のもと、書物を読むことが禁じられた社会。そこでの消防隊の任務は禁止されている書物の捜索と焼却を任務」。
偶然、本の存在を意識し始める「ファイアマン」がやがて、活字の持つ魔力の虜となるが、やがて管理体制から粛清される…」 (注1)

焚書(ふんしょ)は、書物を焼却する行為で特定の思想等以外を全て排斥するためにおこなわれてきた。古くは、秦の始皇34年(紀元前213年)、『史記』によると、丞相(じょうしょう)の李斯は、滅ぼした国々の本や儒者たちが現政府を批判しているとし、思想統一のためこれらの弾圧を建議し、始皇帝は医学・占い・農業以外の書物の所有を禁じた令を制定した (注2) 。・・・・
20世紀後半になっても中国の文化大革命における焚書もさることながら、今は亡きソ連での数々の禁書・焚書も有名です。「人民の敵」とされた著者の書籍は、書店や図書館からことごとく抹殺されたようです。1973年秋にソルジェニーツィンの大著『収容所群島』 (注3) の原稿が国家保安委員会(KGB)に押収され、手書き草稿をタイプ原稿にしたタイピスト、ヴォロニャンスカが自殺する事件が起きました。
ソルジェニーツィンはロシアで最初に出版したかったが、KGBがヴォロニャンスカを拷問にかけてタイプ原稿のありかを発見し、それを焼却したのではたせなかった。ヴォロニャンスカは釈放後首吊り自殺を遂げた。
そのとき『収容所群島』 (注3) のタイプ原稿はマイクロフィルムにして国外に持ち出されていた。(ソルジェニーツィンがルビャンカ刑務所の中で親しくなった弁護士のアーノルド・スージの娘エリ・スージの元で、ソルジェニーツィンのオリジナルの手書き原稿はソ連の崩壊までエストニアで保管された。)

2.書物は何故存在するのか・・・

「人間は記憶の動物」とか言われます。単に知識を蓄積するということではなく多くの知恵や経験を本を通して学んで、物事を演繹的、帰納的 (注4) に考えることができないとまともな判断ができないのです。

本を読むことについてフランシス・ベーコン (注5) は、「読むことは人を豊かにし、話すことは人を機敏にし、書くことは人を確かにする。」という。
孔子曰く『学んで思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)く、思うて学ばざれば則ち殆(あやう)し』いずれも、読書と思考の重要性をといている。さらに孔子は「吾嘗て終日食はず、終夜寝ねず。以て思へり。益なし。学ぶに如かざるなり。」 (注6) ともいっています。

これはどうしてなのでしょうか、なぜなら人間の、思考の形式は、主語・述語を基本とする言語表現の問題解決方式で、人間の認識における疑問は、文・命題によって解明されるので、ひたすら考えるだけでは無駄だからなのです。
現代の言語論は言語を単なるコミュニケーションの道具だけでなく思考や認識の手段として、また欲求や感情・行動の制御機能をもつものとしてとらえ、文法や論理の本質が思考の法則性であること事を明らかにしました。
「動物的思考と人間的思考との決定的な違いは、動物的思考では思考の対象が知覚的直接的に(目前に)存在しなければならない(認知の直接性)のに対し、人間では、対象が直接知覚されなくても、「言語によって」間接的(内的)に対象についての情報(表象)操作が可能であるということである。」という (注7)
然し、或る本では哺乳類のこの演繹的思考、ないし帰納法的思考方式は、ジュラ紀・白亜紀の恐竜類が食物連鎖の頂点に君臨していた時代に夜行性の弱小生物としての哺乳類が生存のためにわずかな情報から危険を回避しや食物をえるために獲得したものと書いてありました。
それが論理とそれを表現する言語と結びついて人間の思考形式となったのだと思います。

3.なぜ「焚書」をおこなうのか

理想の社会を目指したはずの崩壊した「ソ連」での焚書・禁書はなぜ起こったのでしょうか。焚書・禁書をはじめとする言論統制により「共産主義を最も長期間経験したロシアでは、その影響のひとつとして,国民が自立心を略奪されてきたということが挙げられる。ソヴィエト体制下では,非個人的な事柄にかんするすべての命令は上から発せられなければならず、イニシアチブは犯罪として扱われていたため、国民は事の大小を問わず(犯罪目的にかかわる場合を除いて)意思決定能力を失っていった。人々は命令を待っていたのである。」という状態をつくりあげていたのです。 そもそも"マルクスとエンゲルスを体系的創始者とする「科学的社会主義」は、歴史の唯物論的解釈と、資本主義経済の解剖学としての剰余価値理論に裏打ちされた、社会の「外から」の資本主義批判ではなく、社会の内部に労働者階級という理想社会の建設者をみいだす思想および理論として登場した。・・・当時のマルクス主義は、唯物史観と剰余価値論に代表されるように科学の最先端と自負した。" (注8)
確かにマルクスの資本論は「資本」は「放置しておけば」、少数の搾取する富裕層と絶対的多数の貧困層に分化する点を正しく指摘していたと思います(近隣の生産物を購入消費できる中間層がいない社会の問題はいずれまたの機会に)。しかし共産党が権力を掌握するとその思想的根底に「他人が獲得したもの」≒所有権への敬意ではなく、他人の所有物に対する嫉妬・憎悪を含んでいたので「もっとも強欲な本能をも発揮していく」ことになり、「マルクス主義の全体系が科学であるとして、マルクス、エンゲルスらの全言説、個々の記述までが「絶対的真理」として受け止められ、教条主義的信仰、文献解釈主義をも生み出し」宗教的な疑似科学となっていったのです。
 そこでは、権力側には「利己心」をもった「支配的なイデオロギーに対して単なる"リップサービス"しかしないような人々」が集まり、本来イデオロギーが求めた「平等」「自由」などはないがしろにされ、権力を握った「共産党の無制限の権力の維持と拡大が最重要課題となっていった」いきました。
こうして「思想は体制の真の性質を押し隠すための隠蔽物以外の何ものでもなくなっており大仰な理想を掲げる一方で最も世俗的な目的を遂行し、最も不愉快な行為に参与するだけのものとなるのである。」 (注9) という状況のなかで「理想を築きあげる途上にある国家」にたいする批判、実在の不正、欺瞞を暴くような書物は、その体制の真の性質を暴くものであり、これらに「人民の敵」「形式主義」というレッテルを張り排除する必要があったわけです。国民を自立して考えることができなくする必要が権力側にあったのです。
 ここにソ連での焚書・禁書をはじめとする言論統制の意味があったのだと思います。それも「正義で理想的な国家を敵から守るため」との美名のもとに行われました。

古くはブルガーコフの作品の禁書、シェイクスピアの翻訳で有名なパステルナークの「ドクトル・ジバゴ」ノーベル文学賞受賞への干渉、前述のソルジェニーツインの発禁・国外追放など数えきれないほどです。
 西側諸国の共産党もそのような萌芽をもっていました。ソ連から何か見解が示されるとそれに沿った見解をその支持者たちがオウム返しのように騒ぎ立てる。[プラウダ]に『裏切りへの道』という批判論文が掲載されると、表向きは「ソ連を擁護はしないが、ソルジェニーツィンを批判している」といった見解を表明しながら党員は「あの本はウソだ。CIAと結託した悪質な政治的反共デマゴーグだ」とか「50年たったらソルジェニーツインなんか忘れられているがソ連は問題があっても存在するのだ」とか騒いでいました。
内容のあまりのおぞましさに多くの読者がびっくりしたのですがソ連体制に対する根本的な批判はソルジェニーツィン、ドイッチャーとかによりなされましたが、そうした人々の批判をトロツキストだ、反共主義者だ、CIAに利用されている人とかいって、当時の日本共産党は耳を傾けませんでした。最近は、「言論の自由は守る」とか「あれはスターリン個人がやった悪さだ」とか言ってはいるようですが・・・・・
Webにある大量のもと党員の批判サイトを見ると、サブカルチャーの中でスターリン体制下と同じような「反人民勢力との戦い」を繰り返してきているように思います。

(注1):
フランソワ・トリュフォーの監督『華氏451』(原題:Fahrenheit 451、1966年)は、原作はレイ・ブラッドベリのSF小説『華氏451度』の映画化
(注2):
「史記」始皇帝本記、民間人が所持していた書経・詩経・諸子百家の書物は、ことごとく郡の守尉に提出させ、焼き払う(焚書)。李斯は、秦の歴史家によるものを除いてすべての史書は燃やすべきであると主張し、これらの書物は、地域の官僚に処分をするよう命令が出された。
李 斯(? - 紀元前208年)は、中国秦代の宰相。法家思想に基盤を置き、度量衡の統一、焚書などを行い、秦帝国の成立に貢献した。若い頃は小役人として楚に仕えていたが、その後、秦王政(後の始皇帝)に仕えて、その側近となった。しかし、政は『韓非子』に傾倒していたが、もしこのまま韓非子が登用されてしまえば自分の地位は非常に危うくなる、と考え讒言を吹き込んで投獄させて、毒を渡して死に追い詰めてしまった。
紀元前210年に、始皇帝が巡幸途中で死去すると、李斯は宦官趙高と共に遺言を勝手に作り替えて、世継ぎとされた太子扶蘇を自決させ末子胡亥を即位させ二世皇帝とした。
翌年についに陳勝・呉広の乱を初めとして国内は大混乱になった。
二世皇帝は遊び呆けて、国内外の状況を知らない有様だった。紀元前208年、李斯は阿房宮の造営などの圧迫政策を止めるように二世皇帝に進言するなどしたが趙高に讒言され捕らえられ執拗な拷問を受け市中で腰斬に処された。
(注3):
『収容所群島』はソルジェニーツィンの記録文学。
旧ソ連における、反革命分子とみなされた人々に対しての強制収容所への投獄、凄惨な拷問、強制労働、処刑の実態を告発する文学的ルポルタージュで統制の厳しい本国では出版できず、1973年から1975年にフランスで発売。各国語訳が進められた結果、人権上由々しき問題として大反響を巻き起こした。当然ながらソ連では禁書扱いされた。ソルジェニーツィン自身は、1974年に市民権を剥奪されて西ドイツへ国外追放されている。
タイトルの「収容所群島」とは、広大なソ連領内の各地に点在する収容所を、大海中に点在する島々になぞらえたもの。日本語訳ソルジェニーツィン 『収容所群島 1918-1956 文学的考察』(6巻) 木村浩訳、新潮社、1974年-1977年など
(注4):
演繹法とは、一般論やルールに観察事項を加えて、必然的な結論を導く思考方法
帰納法は、多くの観察事項(事実)から類似点をまとめ上げることで、結論を引き出すという論法
(注5):
読むことは人を豊かにし、話すことは人を機敏にし、書くことは人を確かにする。
Reading maketh a full man, conference a ready man, and writing an exact man.
フランシス・ベーコン(哲学者)1561 - 1626
※maketh = "makes"の古い表現
フランシス・ベーコンは近代科学思想における巨匠で、「知識は力なり(Knowledge is power)」という名言でも有名です。一般的原理から結論を導く演繹法よりも、現実の観察や実験を重んじる「帰納法」を主張したもので、近代合理主義の道を開いたと評価される
(注6):
孔子 『論語』第2章「為政第二」第15
「学んでも考えなければ、[ものごとは]はっきりしない。考えても学ばなければ、[独断におちいって]危険である」論語 衛霊公第15の31
一日中食べる事もせず、一晩中眠ることもせずに、ひたすら考え続けたが得ることは何も無かった。それよりは、学ぶことだ。
(注7):
こちらのページから
(注8):
加藤哲郎
(注9):
『共産主義が見た夢」パイプスP220 P222 P218 で保管された。)
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