石川綜合法律事務所

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石川清隆コラム

コラム31 「無限」の中のカメとカネコラム31

1. 市場(いちば)の「亀」

(1)1万年生きる亀

長寿と吉祥を表わす亀、昔 先輩から弁護士が法廷で主張してはいけない論理として「1万年目の亀」という話を酒席で聞いたことがあります。いまでも政治の世界では、ままある詭弁のようですが。

縁日の屋台でおっさんが亀を売っていた・・・・・。
口上・・「鶴壽千載(かくじゅせんざい)と『淮南子(エナンジ)にある。でも江戸の小話を知っているかい』と、「カメのむすめが、ツルのむすこと、結婚することになった。親は大よろこび。ところが、むすめのカメは、めそめそ泣(な)いていた。母親が、よい縁談なのでおどろいて、きくと、『お嫁さんになるのは、うれしゅうございますが、ツルちゃんの死んだあと、九千年も、後家くらしは悲しくなるのです』・・・
「ツルは千年、カメは万年(!)生きるよ!」・・・・・・・
ところが買った翌日に死んでしまい、屋台のおっさんに文句を言うと「残念、ちょうど今日が1万年目だから寿命なんだよ」という。漫談や小話ならこれは結構笑えます。

しかし、「どんな盾も突き通す矛」と「どんな矛も防ぐ盾」を売っていた男の話「矛盾」 (注1) 「羊頭狗肉」の語源となった「「牛頭馬肉」 (注2) となるとだんだん笑えない内容を含んできます。

(2)夜店で売る「韋駄天より早い亀」

「論理的」という落とし穴・・韋駄天 (注3) をアキレスに変えると有名なゼノンのパラドックスになる。
ゼノンのパラドックス(亀とアキレス)とは論理過程は正しそうだが、結論はおかしい・・・
「走るのが早いアキレスと鈍足な亀がいて、徒競走をする。亀がハンディキャップをもらって、いくらか進んだ地点(A)からスタートする。アキレスが地点Aに達した時には、亀は先に進んでいる地点(B)。アキレスが地点(B)に達したときには、亀はまたその時間分だけ先へ進む地点(C)。この繰り返しの結果、いつまでたってもアキレスは亀に追いつけない。」というもの。

古代ギリシャ人には、これは難問で18世紀ごろになって初めて明確に説明できる問題であったといわれる。古代ギリシャ人は幾何の線分、図形から「数」をとらえ、幾何的な無限は知っていたのですが、動きについての数学、微積分という発想がなく、数論的な「無限」の扱い方を知らなかった。
何秒後に追いつくかは下の式に数字を入れXをもとめれば中学生でもわかるのですが。
早いアキレスの秒速度×X = A+遅い亀の秒速度×X

ゼノンのパラドックスはこの「時間」「長さ」からなる前提を、「長さ」の問題だけで線分上の点を無限回数えていくことができるという当たり前のことを言っているのです。
何をやっているかといえば定まったアキレスの秒速と、亀の秒速の比、無限等比数列の初項から無限項までの和、つまり無限級数の和の極限値ではなく、初項から無限項まで項は、無限にあるということ言っているだけ。この場合の初項から無限項まで和の極限値は収束する・・・。こんな口上で「「韋駄天より早い亀」が売れるとは思いませんが。 (微分法では、速度は距離÷時間ではなく、ある点における速度をもとめるのに、ある点Aその近くの点Δt時間後の点A'までの経過をΔt⇒0として考えます。積分法はこの逆の演算で積分とは微分の逆の操作で、変化速度から移動した距離を細かく切り分けていきその細さを⇒ 0として、それを足し合わせることで移動距離を求めますよね。)

2.妖怪市場(いちば)

有名な漫画「ゲゲゲの鬼太郎」シリーズに『妖怪市場』が出てくるものがある。大家の砂かけババアからの家賃の督促を受けた店子の妖怪たちが身の回りの物を売ろうとして・・たとえば妖怪「油すまし」 (注4) が「油」を売るとか、ねずみ男が「鬼太郎のちゃんちゃんこ」のパチモン(偽物商品)を売っているなどおよそ他の妖怪には交換価値のない「商品」ばかりなのでさっぱりうれない。
経済学的にみると自給自足のための生産から、交換のための生産に発展するには、何がつくられるのかという生産・誰が取得するのかという分配が決められており、交換は生産と分配の間にある制度でこれが確立していなければならないということになります。
豊かな国では多くの生産が交換のための生産ですがそれには購買力をともなう需要がないと「商品をつくっても売れない」 (注5) ということになります。妖怪市場は何が欠けているのでしょうかね・・・

3.ヴァーチャル偽市場(しじょう)

最近では、「仮想市場」の中で、投資額に応じた「いくら使っても減らない」「円天」とかいう疑似通貨がもらえるという詐欺事件もありました。
円天とは「L&G」独自の疑似通貨電子マネーで、全国で開催されるという架空のバザーや、Webサイト「円天市場」の架空の加盟店で日用品、貴金属の買い物ができるというもの。出資金(お金を預ければ、円天が貰える上に年利36%!しかも預けたお金は全額返ってくる、つまり元本保証といっていた)に応じてこの円天がもらえ、「毎月同額の円天がもらえる」「使っても減らないお金」と宣伝していた。
この疑似通貨「円天」、この架空市場でしか使えず、この市場では「幻」をうっているわけですから、しかも実際の通貨への換金はできないので、現実の現金配当がなくなると、プラスチックのポーカーチップよりのたちの悪いものとなります。これを国家規模で株式をからませてやったのが「南海泡沫事件」です。

4.バブル市場(しじょう)

「バブル経済」の語源となった「南海泡沫事件」というものがあります。 (注6)

「南海泡沫事件」とは、18世紀にイギリスの財政危機を救うため、国債の一部を民営の南海会社(The South Sea Company)に引き受けさせ、これが破たんして、多くの破産者、自殺者がでたという事件です。
18世紀前半、アン女王(位1707.5.1-1714.8.1)のもとでグレート=ブリテン王国が成立したイギリスでのおはなし。 「南海会社」という株式会社を作り、政府はこの会社に西インド諸島(当時スペイン領)との貿易の独占的な権利を与えます。この会社が独占する南アメリカ貿易には、アフリカのイギリスの植民地で集めた黒人奴隷を西インド諸島に売ることも含まれていました。この奴隷貿易による利潤で負債を賄おうという目的でつくられました。しかしスペインがこのようなイギリスだけにおいしい話にのってくるわけがありません。独占するはずの貿易事業はそもそもなりたちえません。
やがて、金融会社化して、国債を保有する者は申し込めば南海会社の株式と交換するという条件で株主を募りました。要は、国有事業を民営化した形にして国債(負債)を圧縮する(実際は付け替え)というものです。巨額の国債引き受けの見返りに額面等価の南海会社額面株を発行できるとした。
そもそも当時のイギリス国債が財政危機で額面割れしているはずなのですが・・・・・南海会社の利潤とは…なんかおかしいでしょう・・(笑)
国債の時価(実際は額面額を下回る)が額面額どおり、南海株の時価は常に額面額を上回るという前提なのです。

  1. 株と国債の交換は時価で行う(と言いながら、まず国債の時価を額面通りとしている)。
    そして会社が発行できる株は国債の額面引受額としていたのです。
    「株式の額面」が100ポンドの場合は、会社が株式を発行した時、投資家が1株あたり100ポンドを支払って株式を購入したことを示していました。でも南海会社の株価を額面100ポンドにつきこれを上回る市場価格200ポンドとしていました
  2. すると額面「200ポンド」の国債と南海会社株「100ポンド」で等価交換となる。
  3. 南海会社が発行できる許可株数は「国債の額面の交換額」に応じているので200ポンド交換したので額面200ポンド分の株が発行できる。100ポンド交換しても手元に会社株「100ポンド」分、時価200ポンド分余ることになるというのです。のこり「額面」100ポンドの株を売りに出すと値上がりが見込めるので買う人がいる。売り上げの200ポンドはそのまま南海会社の利益となる。この方法で南海会社の利益があがると、当然株価が上昇する。
    以上の手順を繰り返すと無限に株価は上昇し、南海会社は利益をあげ続けるという、これが南海会社計画であったのです。
    これは、二倍!・二倍!(無限級数が初項a 、比rの無限等比級数は a≠0 かつ |r|≧1 のとき 発散する ⇒ ∞)という口上で株を売っていたわけです。
    先ほどの亀とアキレスの話は比 |r|‹1 のとき 収束してその和Sは S=a/(1-r)です。
    この事件は多くの破産者・自殺者を生むことになった。当時王立造幣局長官を務めていた科学者アイザック・ニュートンは南海会社の株で一時7,000ポンド儲けたものの、その後の暴落で結果として20,000ポンドの損害を被ったという。
    ニュートンはヨハネス・ケプラーが発見した惑星の運行に関する法則などから、数学的に導き出された結論とし て、万有引力の法則を発見し、その過程のなかでニュートンは運動に関する数学、微積分法を創造しています。亀とアキレスの話の説明ができるニュートンも友人が大儲けしているのをみてこの投機に参加した。結局ニュートンは大損をして「物体の運動は測定できるが、人間の愚行を測定することはできない」といったという。

5.市場(いちば? しじょう?)の人々

経済学の前提では、「市場」の人々は、合理的で効率的に最大効果を上げるように行動することになっている・・・・。
ソ連崩壊後にチェコの大統領になったハベルは「万国の労働者よ団結せよ」というスローガンを張り出していた八百屋の主人について・・・自分の理想を人々に訴えようとしてそのスローガンを書いたのではなかろう。そうではなく、「八百屋の主人は、お定まりの儀式、現実としてのうわべ、お決まりのゲームのルールを受け入れることによって、忠実さを示していたのだ--。しかしそうすることで”彼自身がそのゲームのプレイヤーとなり”ゲームの進行を助け、体制を存続させていたのである」と書いている (注7)
これについてジョン・ケイは、「無制限の利己的な選択メカニズムという状況は公共部門において一般的に見られるが、民間の企業でも同様に起こり得る。」が「だがそれは一時的なものであって'長続きはしない。過程よりもアウトプットを評価する外部の選択システムが何重にも存在すれば、否応なく現実と向き合うことになるためである。」というが同時に「しかし競争に直面しない組織、あるいはそれに反応するメカニズムを持たない組織では'長期にわたってそうした行動が続くものなのかもしれない。中国やオスマン帝国の官僚制は何世紀も生き延びた。」と指摘しています。
「レッセフェール」というか「そのうち何とかなるだろう~♪」 (注8) というだけでは市場で公正な競争を確保するには、足らないようです。

(注1):
『韓非子』の一篇「難」に基づく故事成語。「どんな盾も突き通す矛」と「どんな矛も防ぐ盾」を売っていた楚の男が、客から「その矛でその盾を突いたらどうなるのか」と問われ、返答できなかったという話から。もし矛が盾を突き通すならば、「どんな矛も防ぐ盾」は誤り。もし突き通せなければ「どんな盾も突き通す矛」は誤り。したがって、どちらを肯定しても男の説明は辻褄が合わない。
(注2):
春秋時代に斉の宰相として活躍した晏嬰の功績を記した『晏子春秋』に出て来る言葉。「牛頭馬肉」、後に禅宗の考案のなかなどで変化して「羊頭狗肉」になる。 見かけ倒しのこと。宣伝(もしくは看板などの表示)と内容が一致しない事。
(注3):
韋駄天は、仏教の仏(天部)の神。俗説で足の速い人のたとえにされる、「韋駄天走り」などといわれる。
(注4):
熊本県天草の言い伝えでは、油すましが出るという
油を盗んだ人間の霊が化けすました顔をしている。明治のころ、おばあさんが孫に「昔このあたりに油すましという妖怪がでたそうな。」と話していたら、「今でもいるぞ。」といって、油すましがガサガサと出てきたという。水木しげるの「鬼太郎」では博識なゲゲゲの森の村長さんとか・・・。
(注5):
コラム Vol.2をご参照ください。 本文に戻る↑
(注6):
wikipedia 「南海泡沫事件」を参照しました。別ウィンドウで開きます 本文に戻る↑
(注7):
ジョン・ケイ「市場の真実」p148~9
(注8):
クレージーキャッツ「だまって俺について来い」の一節
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