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石川清隆コラム

貧困な貧困論と社会政策の欠如(1)(レレレのおじさんの剰余価値とその搾取?!)コラム19

1.レレレのおじさん (注1) の剰余価値?!

これは有名なギャグ漫画に出てくる人物でなく、実際の「労働者」の話です。
学生の頃、正確な名前は忘れましたが、たしか近郊のローカルなターミナル駅で「国鉄労働者と連帯する学生の集い」みたいなものがあり、国鉄の現場の労働者の生の声を聴こうという企画に参加したことがあります。
正規職員だという「労働者」が、「国鉄労働者の闘い」というのを話してくれました。
「我々は生産したものを搾取される労働者だ。その資本の搾取に憤りを感じて闘わなければならない」というようなしめくくりでした。
するとその後、その正規職員だという「労働者」は脇に立てかけてあった箒を持ち、これから労働に従事するとのことでした。
学生の質問に「私は正規職員で清掃担当です。これからホームの掃除に行きます」とのこと。また質問がありました。「天井やトイレ、ごみの集配はいつやるんですか。」お答えは「それは業者の仕事です」。!?
当時、労働市場原理の働かない公務員で、定時にホームを掃き清めるだけで、正規職員としての給与と退職金+年金という待遇の方は、この「労働者」には、誰が何処から「剰余価値」を搾取していたのかよく分からなかったのでしょうか。

2.「剰余価値」の搾取とは

「労働者」の正義の根源のようなこの「剰余価値」の搾取とはいったい何なのかということですが、まず資本主義社会においては、
①労働力を含めてあらゆる財が市場を通じて交換される商品となる。
②商品の価値はそれを生産する社会的な必要平均労働時間により決まる。
「労働力」は商品としてみた場合、生身の人間ですから、それを養うために必要となる生活必需品の商品価値の総額で決まることになる(労働価値説) (注2)
つまりそれに支払われる賃金はこうして決まるということです。
マルクスが言うところでは、ただこれだけを繰り返していると、社会全体の財貨は増えないのでよくぞとみると、人間は労働力の再生産維持に必要労働時間を超えて労働している。人間の労働力は常にそれ以上の剰余労働し、それを生産する。その部分には賃金が支払われていないということです。
マルクスは、資本主義の宿命として、「剰余労働が労働者の手にではなく、資本家のものになる。すなわちプロレタリアート=労働者は通常生産手段を有せず労働力しか売る物がない為に対価としては必要労働時間相当(=商品としての労働力の価値)しか得ることが出来ない。その結果、生産手段を有しているブルジョアジー=資本家が対価なくして剰余労働で生産されたものを得る。」と。これが搾取であり、収奪であり、「資本主義社会で労働者が搾取され貧しい生活を余儀なくされる理由が明快に説明された。」というのがマルクス信者の根本教義であったのです(もともとはリカードの価値論なのですが)。
先ほどの、「レレレのおじさん」的労働者の「正義」はこのあたりだったのでしょう。マルクス資本論は、その数学的論理性から (注3) 、「現代経済学を遥かに凌駕する、社会科学の著作の最高峰」ということが盛んに喧伝されていました。

3.社会科学の実証性

現実に起こったことはどうだったのでしょうか。経済学を含めて、「社会科学」と呼ばれる学術分野についてよく言われるのが、自然科学は追試も可能であり、反証する可能性も有るが、社会科学は実証性や再現性に乏しい分野が多く、その普遍性や実用性は議論の対象となるだけで社会科学は科学に値しないという考え方です (注4)
マルクス資本論の20世紀の大実験、社会主義国は、ゴルバチョフによって解体され、70数年で終焉した。(1991年)これについては十分検証されたのでしょうか。
なかには、ソ連などは遅れた資本主義国で起こったことで、本当の社会主義ではなかった(It's just sour grapes!) (注5) 、とか言っている人がいますが、レーニンの言う「人間の意識をはなれた、それから独立した外界が存在する」という唯物論の基礎を理解していないか、単に"振られた彼女への愛は本当の愛ではなかった"と言っているように聞こえます。
確かにマルクスは、社会主義革命が起こるとしたら最初はドイツで、ロシアのような資本主義生産形式が未熟な国では起こらないようなことを言っていました。
ボルシェビキが無血革命で政権を奪取した後 (注6) 、内戦を経てソホーズ・コルホーズによる農民からの収奪や、千万にも及ぶ、人以下の強制収容所労働[人権上の問題だけでなく、賃金を払っていない]により資本の原始蓄積をしたはずなのに、なんだかおかしい国になってしまったのです。

4.ゴルバチョフ (注7) の分析

ゴルバチョフは、マルクスが「将来の科学技術革命が資本主義の発展の新たな源となりうることを予見できなかった」と言います。
マルクスは、当時いた勃興期のイギリスの資本主義をモデルにしていました。そこにはアダムスミスやリカードといった古典経済学者が「市場はそのメカニズムに任せておけば"神の見えざる手"によって調和し、失業もない。」という牧歌的均衡論が提唱されていたわけです。これに対して、「剰余価値が搾取により資本家のもとに集中し、その儲けに必要がないため不況が生じ、失業が発生する。」という分析をし、「労働者の貧困が極限に達するとやがて資本主義は崩壊する」とやったわけです。
確かに生産手段を一極集中し、再分配機能が社会的にない場合、一握りの富裕層と圧倒的多数の貧困層に分離することは自明でしょう。
将来の科学技術革命が労働の負荷を軽減し、新たな価値(財)及びそれを生産する労働を生み出す、それに伴って社会も複雑化高度化するというあたりは全く考えていない訳です。
ただ社会が複雑化高度化するだけでは、貧困の発生は先送りされるだけですが、ゴルバチョフは「資本主義は自己の体制を改善し、社会主義の経験の塊の要素を吸収し、政治体制を民主化していった」という、マルクスのいう「貧困」が発生しないように社会政策を実施したということです。

5.社会政策とは

社会政策とは、「社会において発生した問題を解決するための公共政策の体系をいう。」
とされるが、「一般には労働問題と狭義の社会福祉から構成されている。」 (注8)
最初の社会政策立法が、社会主義革命が最初に起こるとマルクスが予言したドイツでビスマルクによって1880年代後半に労働保険制度、疾病保険制度、傷害保険法、養老保険法などとして成立したことは皮肉でしょうね。
様々な問題点はありますが、いろいろな労働立法や福祉政策も個々の企業や、特定の業種企業の利害ではなく「総資本」としての観点から見るべきであるというのはその為なのでしょう。
ゴルバチョフは「西側の多くの資本主義諸国の勤労者の福祉と社会保護を向上させた社会改革を実施したと言う点での功績を認め、それをありのままに評価するものである」と述べています。

6.ソ連の経済体制では何が問題であったのか

すべての生産手段を国有化し、貧困が発生しないはずの「理想国家」は、なぜ崩壊したのか、生産形式が資本主義的でなく、商業資本、ないし原始的資本主義的な形態にとどまったということではないでしょうか。

(1)マルクス経済に時間はあるか
別に相対性理論の時間論を述べようというものではありません。経済学的な『時間』概念です。
剰余労働によって生み出された価値が剰余価値であるとするマルクスは、利潤は剰余価値の現れであり、利子、地代は剰余価値が形を変えたものであるとします。
普通の経済的な考え方は利子は「消費を繰り延べることによる対価」と考え、時間と裏腹のものとみます。するとマルクスは、利息は社会のどこで発生するのか所在を問わずただ搾取されるものととらえるわけで、利子率の高低が経済活動に与える効果なぞは考えません。在庫はいつまでも同じ価値で、適正な在庫量か、実際商品価値のあるなしも考えられず、数字上同じく計上されます[減価償却もないことになります]

(2)流通は価値を生まない?
マルクスは、「剰余価値は商品交換(流通過程)によっては生まれない。なぜなら、流通過程において不等価交換が生じたとしても、社会全体の価値総額は常に等価であるから。」としてます。 交通や、流通業に携わっている労働者は、何を生産しているのでしょうか(笑)やはりここでも「時間」がありません。

(3)商品は必ず売れる?
マルクス経済学も、古典派や新市場原理派と同じく、セイの法則 (注9) を暗黙の前提にしており、商品は必ず売れ、不況は資本家のもうけとの関係で生ずるだけで(循環不況論)、需要がなく商品が売れない、過剰な在庫が発生するという立場ではありません。一般均衡論との違いは、マルクスは周期的な[不況]を含む景気循環のなかで考察しているだけです。無駄な在庫は、それをストックスしておくだけではマイナス利息しか生みません。[震災などの備えた適正在庫についてはもちろんこれとは別論です]

(4)経済の相互依存性の欠如
マルクス経済学は、古典派経済学が、生産者が生産に必要だった費用がそのまま交換価値となるという考え方を修正し、剰余価値がプラスされたものが交換価値であるとの前提で経済体系を作り上げています。その意味で古典派の批判という意味では正しかったのでしょうが、ワルラスは交換・生産だけでなく資本形成・貨幣を加えた4部門が経済の相互依存性であり、安定・進歩の条件であることを数学的に明らかにし、一般均衡理論を樹立しました。マルクスはこのところまでに至っていません。
すると、ソビエトの経済というのは生産は生産だけで計上する、交換[流通]や利子など時間的要素はない相互依存のない数値が計上されているだけであったようです。
納期や遅延概念がないわけですからバブルのころのインチキ経理の温床となった仕掛品勘定、在庫勘定をすべてプラス計上する鵺 (注10) のような姿の経済体制ではなかったのでしょうか。 (つづく)

コラム19

(注1):
『天才バカボン』赤塚不二夫のギャグ漫画の登場人物
和服姿に下駄履きで、常に路上で掃除をしている。口癖は「おーでかーけでーすか? レーレレーのレー」
(注2):
昔は、これは循環論法ではないかと言われて批判されていましたが、森嶋通夫先生が「そのような相互連関の状態を表している」ので間違いではないという論証をされていました。 この稿の経済学的な見解は、筆者なりに理解した"思想としての近代経済学 (岩波新書) 森嶋 通夫著 岩波書店 (1994)"の記述を参考にしています。
「純粋理論は現実を観察し、それに適合するような理論的モデルをつくるが、その際モデルの構成要素をなす諸概念は、現実の実物そのものでなく、実物の一面ないし数面を定式化したものである。それは他の面を無視した理想型の抽象的概念である。経済理論が想定する資本家、労働者、地主、企業者も、彼らが出会う市場や企業も、すべて理想型である。…経済学者は現実を観察することによって、どのような理想型モデルが適切かを知るのだが、不適切と判定すれば、理想型に修正を加え、モデルを変えなければならない。いったんモデルが確定すれば、あとは合理的推論でモデルの運動の仕組みを探索する。これが経済分析だが、このような分析が可能なのは、モデルが理想型であるからである。…理想型を使って分析をしたからであり、「理想型」概念化以前の記述的学問からは、どんな法則も引き出しえない。こう考えれば、理想型概念の意識的使用と、価値判断と科学的推論の分離は社会科学の基本である」(同書p35-36)
(注3):
Column Vol.12をご参照ください。 Column Vol.12はこちら
(注4):
ウィキペディアは量子物理学者リチャード・P・ファインマンの言葉を引用していますが、これは昔から言われていることです。
(注5):
"The Fox and the Grapes" 、one of the traditional Aesop's fables
(注6):
エイゼンシュテイン監督の映画「10月」(無声映画)
"ロシア革命上、最も劇的な瞬間"をオーロラ号の冬宮砲撃も虚構だと言われています(アヴローラも空砲を打っただけかもしれない)が、本当はほとんど無血で大した戦闘もなく占拠された冬宮もエイゼンシュテインの映画『十月』(1928年公開)などでも「冬宮突入」は革命のクライマックスとされ、激しい戦闘の末に冬宮が制圧された、という描き方になっていました。
(注7):
ミハイル・セルゲーエヴィチ・ゴルバチョフ(1931年―)はソビエト連邦の政治家で、8代目にして、同国最後の最高指導者。
(注8):
学問・研究分野としては、労働経済学、労使関係論、労働法、社会保障論、公的扶助論など幅広い分野を包摂している(ウィキペディア)、更に富や社会的資源の再分配なども忘れてはいけないとされている。
(注9):
商品は必ず売れるセイの法則については、Column Vol.2をご参照ください。 Column Vol.2はこちら
(注10):
鵺、日本で伝承される伝説の生物。サルの顔、タヌキの胴体、トラの手足を持ち、尾はヘビで、胴が虎でとか・・・・
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