石川綜合法律事務所

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石川清隆コラム

現代の「黒い絵」―空想から妄想へ『人を食らう狂気』―

1.物欲や権力欲が全く満たされない、精神の安住地としての誇大妄想。

コラム2319世紀に書かれた『狂人日記』(1830年~執筆)は、ニコライ・ゴーゴリの短編小説で、皇帝ニコライ1世に使えていた下級官僚による日記という体裁の短編です。1840年代のサンクトペテルブルクの官僚組織を皮肉っているとよく言われています。
確かにこの下級役人はサンクトペテルブルクで将来の出世の希望もなく、安い俸給に応じた質素な身の回りでなんらの救いの無い役人生活を送っていました。
街で偶然二人の高貴な女性に一目惚れして後を付けて上司に叱責され、自分の経済的境遇や社会的な地位を卑しむ心から徐々に精神を蝕まれていきます。
彼は二匹の犬がラヴレターを交していると思い込こみ果ては、正気を失って自分自身をスペインの王位継承者だと思い込み、マドリードに行く…。物欲や権力欲が全く満たされない、下級役人の精神の安住地としての誇大妄想…。
自分自身、なんで生計を立てているのかわからないルンペン・プロレタリアート (注1) だったマルクスはその夢を語っていました。「何人も独占的な精勤範囲をもつことのない共産主義社会では…社会が生産全般を規制しているため、今日はこれ、明日はあれをする可能性を私に与えてくれる。たとえば狩人や漁師、牧者や批評家になることなく私の気のおもむくままに、朝には狩りをし、午後には魚をとり、夕方には家畜の世話をし、夕食後には批評を書くことができるのである。」
この誇大妄想は、人の「憎嫉(ぞうしつ)を煽動して、他人の富貴の羨むべく、他人の栄華の憎むべき事を説く学説」となりマルクスの幼稚な貧困論 (注2) を介して、レーニンの「革命運動における指導政党である」という自惚れを生み、更にその「うぬぼれ」が暴走し、科学的真理の唯一の認識者、体現者であると自負し、前衛党以外の者はその真理を認識できない者とする、暴力的差別イデオロギーになっていくものの萌芽を描いているようです (注3)

ア SFにおけるイドの解放? 「イドの怪物」・・・禁断の惑星 (注4)
時代設定は「宇宙移民がはじまった2200年代。」
宇宙船は、惑星第4アルテアへ着陸します。先の移民団の生き残りは、モービアス博士と彼の娘、有名な「ロボット・ロビー」だけでした。
その星には高度に発達した科学文明を創り上げた先住民族が存在したが、原因は不明で突然に滅亡しました。やがてそれは、先住民が装置によって「無意識の本能=イド」 (注5) を解放し、エネルギー化したため、自分たちの潜在意識の憎しみや欲望に従った行動を制御しきれず、とほうもない巨大なエネルギーでお互いに殺し合い、自滅したのだった。
 理性で制御されている無意識の感情、欲求、衝動という本能的部分を解放してしまったので、高等な知的生物も、原始的な欲求、衝動が自由気ままに跳梁跋扈する状況になって、互いを殺戮し絶滅したというお話が前提となっています。

イ 太陽系第3惑星での現実の出来事…トロッキーの「文学と革命」
トロッキーは社会主義において、理想の人間を作り出せるとして「人間はまず自分自身の有機体の半意識的なプロセスを次にはまた意識的なプロセスを支配したいと願うようになるだろう。…この機能不全なホモ・サピエンスは、もう一度再改造の状態に入り、自分自身の管理下の元で、人為的淘汰と精神生理学的訓練の最も複雑な対象となるであろう…超人と呼ぶべきものを作り出すことを目的とするだろう・・平均的人間のタイプは、アリストテレスやゲーテ、マルクスの水準に高まるだろう」と。 どうも個人の私的な所有権を奪い、諸権利をはく奪して体制的強制によって人間の本質を再形成できると考えていた節があります。 さらにこの根底にはそのような超人の出現をする社会を創るため、マルクスが言った「この世代は一つの新世界を征服しなければならないだけでなく、その新世界にふさわしい人々に席を譲るために消滅もしなければならない」という未だ到来しない世界のため現在生きている人々は消滅させてもよいという考え方がありますね。
 これがレーニンの実践編になり1922年の大飢饉が起こると、敵はロシア正教会であるとして「飢えた地方では人が人の肉を食い…屍体が散乱している今こそ我々はもっとも残酷かつ容赦ない力をもって教会の財産を没収できるのだ…」として、巨額の資産を没収しました。しかしその一部でさえ飢餓対策には回しませんでした。
 生産手段を国有化し、人間の物質への隷属から解放するどころか、支配者の物欲やイドを解放しただけで人間を奴隷化し、その剰余価値どころか生命まで搾取していきました。そしてそこで形成される人間は、万民に平等に分配する豊富な財貨は常にありえないわけですから、その足りないパイをぶんどる物欲的で放縦な人間が形成されていくことになったようです。

ウ スターリンの歴代の死刑人
スターリンの死刑執行人べリア (注6) は、多数の人々を粛清しただけでなく裁判で明らかになったことは、ベリヤは大変な漁色家であり暇さえあれば彼とその部下はモスクワ市内を車で廻り、気に入った女性をNKVD本部に拉致しては暴行する悪行を繰り返したそうです。
スターリンの死後、フルシチョフらとの政争の敗北、失脚し死刑になったのですが、べリアは前任者である天文学的数字の人民を粛清したエジェフ (注7) をスターリンの指示で全官職を解任し、「ドイツの諜報機関と結託してスパイ活動を行い、クーデターを計画していた」と拷問にかけ自白させ、銃殺し、その地位を築いた。
1936年ゲンリフ・ヤゴーダの後任となったエジェフは、「無実の人間を10人犠牲にしてもいいからスパイ1人を逃してはならない。」と言い、エジェフにはさらに「同性愛・異性愛の両面で性的に逸脱した」ことが、明らかになっています。
その前任者のヤゴーダ (注8) は、大粛清の契機となった1934年のセルゲイ・キーロフ暗殺事件をスターリンの指示で実行した張本人といわれています。しかしスターリンに生ぬるいといわれたか、何らかの対立から1936年エジェフに取って代わられ、逮捕され過酷な取調べ「ドイツのスパイ」であったと自白させられた。
1938年ブハーリンらとともに、反逆や共謀などで有罪となり、家族ともども処刑された。
このスターリンの大粛清の執行者も、「賭博と漁色にふける退廃的な悪徳の持ち主として名高い。」と言います。
これらの事実や性格的変奇性は、以前はデマないし「反共宣伝」といって覆い隠そうとする人たちがいたが、今や否定する人はまずいません。

2.20世紀の狂人日記

1918年の魯迅の『狂人日記』 (注9) では、家族や周りの者がみなカニバリズム (注10) を行っており、いずれ自分を食べようと企んでいる、という被害妄想に取り憑かれた男の日記という体裁をとっています。普通は"儒教を原理とする中国封建社会の中核をなす家族制度を、「人が人を食う」ものだという発想で批判し、その根本にある非人間的な前近代的な倫理を暴いた" (注11) と解釈されているが、魯迅は辛亥革命を風刺的批判的に描いた『阿Q伝』を著しており、また時代的にロシア革命の翌年に書かれたこの「カニバリズム妄想」は「寂寞の中に馳かけ廻る猛士」 (注12) に見えた近未来なのかもしれませんね。

3.21世紀の空想的社会主義者

ソ連が崩壊して4半世紀、すでにスターリンやソビエト政府の悪行はほとんど知れ渡っているのに、2013年になってなお『スターリン秘史』とかいう「論文」を書いている人もいます。
『スターリンは巨悪だ』「世界で最初に社会主義への道に踏み出したソ連で、レーニンの後継者を装い、スターリンがソ連を社会主義とは無縁の国に変質させ、覇権主義者として世界に流してきた害悪を歴史的事実そのものに照らして全面的に解明する」とか言っている人もいます。
「わが党は世界の運動の中で、ソ連覇権主義との闘争の先頭に立ち、それをやり抜いた党」だそうです。"不破哲三、しんぶん赤旗2012年12月25日"
1998年には、この日本共産党は「レーニンまでは正しかったが、・・・社会主義を目指す国ではなくなった」とか言っていましたが、この頃は「レーニンの国家論はマルクスと違うとか」…
そもそもコミンテルンの資金で設立された政党が、昔からソ連覇権主義との闘争をしていたなど噴飯ものであり、自主独立とかいって家父長的なルーマニアを高く評価していたのも明らかです。やはり働かず食おうと思うと、このように常に正しかったといってなにがしかの利権を得ようとしているのでしょうか。ここでもそのような幹部に平等に分配する豊富な利権は常にありえないわけですから、物欲的な動機のミニ権力闘争が時折起こるのかもしれません。
風車を「理想」に敵対する竜と思い込んで、突進するドンキホーテの「狂気」のほうがまだほのぼのとしています。

4.『ドン・キホーテ』の狂気

ドストエフスキーが「人類の天才によって作られたあらゆる書物の中で、最も偉大で最ももの悲しいこの書物」と評した『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』 (注13) 本名をアロンソ・キハーノというラ・マンチャ地方の村に住む郷士が、騎士道物語の読み過ぎで現実と物語の区別がつかなくなり、自分をとりまく世界、全てを騎士道に置き換えて認識する、そして義憤から遍歴の騎士として世の中の不正を正すために旅に出ます。
とても「イタイ」人物であるが、騎士道を離れるといたって理性的で思慮深い人物でここでの「狂気」は、あたかも「蟷螂の斧」 (注14) であって、キホーテが主観ででっち上げた理想に、それとまったく乖離した大きな現実を従わせようとする「もの悲しい」姿です (注15) 。喜劇的に描かれるキホーテはお邪魔であっても、危険性はなく、従者サンチョパンサはあたかも、シェイクスピアの悲劇の道化のように現実を語ります。

(注):
コラム題「黒い絵」
ゴヤ 黒い絵のうち 「我が子を食らうサトゥルヌス」
ローマ神話に登場するサトゥルヌス(ギリシア神話のクロノス)が将来、自分の子に殺されるという預言に恐れを抱き5人の子を次々に呑み込んでいった自己の破滅に対する恐怖から狂気に取り憑かれ、伝承のように丸呑みするのではなく自分の子を頭からかじり、食い殺す凶行に及ぶ様子がリアリティを持って描かれている。
 クロノス(Kronos)は、ギリシア神話の大地および農耕の神である。
子にその権力を奪われるという予言を受けたため、子供が生まれるたびに飲み込んでしまったという。最後に生まれたゼウスだった。
(注1):
マルクスの定義は、「なんで生計を立てているのかも、どんな素性の人間かもはっきりしない、おちぶれた放蕩者とか、ぐれて冒険的な生活を送っているブルジョアの子弟とかのほかに、浮浪人、兵隊くずれ、前科者、逃亡した漕役囚、ぺてん師、香具師、ばくち打ち、ぜげん、女郎屋の亭主、荷かつぎ人夫、文士、乞食、要するに、はっきりしない、ばらばらになった、浮草のよう漂っている大衆」『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』(大月文庫版)p.89~90
(注2):
Column Vol.19をご参照ください。 Column Vol.19はこちら
(注3):
Column Vol.3をご参照ください。 Column Vol.3はこちら
(注4):
『禁断の惑星』(Forbidden Planet)は1956年製作のアメリカ映画
(注5):
ジークムント・フロイトにおける das Ich(以下自我とする)は精神分析学上の概念。自我に加えて超自我(ちょうじが)とイド(エス)
フロイトの定義では自我(エゴ)という概念は「意識と前意識、それに無意識的防衛を含む心の構造」を指す言葉。イド、エス (Es) は無意識に相当する。正確に言えば、無意識的防衛を除いた感情、欲求、衝動、過去における経験が詰まっている部分である。
(注6):
ラヴレンチー・パーヴロヴィチ・ベリヤ(1899年- 1953年)はソビエト連邦の政治家。ヨシフ・スターリンの大粛清の主要な執行者の一人。
(注7):
ニコライ・イヴァーノヴィチ・エジョフ(1895年- 1940年)は、ソビエトの政治警察・秘密警察であるNKVDの長を務めたが、後に自らも粛清対象にされて処刑された。
大量の粛清によって国家や経済が機能不全になり、スターリンの不興を買うようになったためである。
(注8):
ゲンリフ・グリゴリエヴィチ・ヤゴーダ(1891年 - 1938年)は、ソビエトの初代NKVD(内務人民委員部)長官。国家保安総委員(1937年1月に予備役編入)。スターリンに忠実であった。
(注9):
『狂人日記』、中国の作家、魯迅によって1918年に雑誌『新青年』に発表された短編小説。表題はゴーゴリの同名の小説『狂人日記』の影響を受けているといわれる。
(注10):
カニバリズム(英: cannibalism)は、人間が人間の肉を食べる行動、あるいは宗教儀礼としてのそのような習慣をいう
(注11):
『狂人日記』角川文庫版巻末の訳者あとがき、増田渉。
(注12):
魯迅「吶喊」原序 中公文庫 高橋 和巳 訳
(注13):
ミゲル・デ・セルバンテス(1547年- 1616年)近世スペインの作家の著書、「ドン・デ・ラ・マンチャ」「ラ・マンチャ(地方)のキホーテ卿)と名乗り、痩せ馬ロシナンテにまたがり、従者サンチョ・パンサを引きつれ遍歴の旅に出かける物語である。
セルバンテスは前篇の序文の中で、牢獄の中でこの小説の最初の構想を得たことをほのめかしている。彼は生涯において何度も投獄されているが、おそらくここで語られているのは税金横領の容疑で入獄した1597年のセビーリャ監獄のことであろう
(注14):
「蟷螂」とはカマキリ。相手がどんなに強くてもカマキリが斧に似た前足をあげて立ち向かう様。
『韓詩外伝』「斉の荘公出でて猟す。一虫有り、足を挙げて将に其の輪を搏たんとす。其の御に問いて曰く、此れ何の虫ぞや、と。対えて曰く、此れ所謂螳螂なる者なり。其の虫為るや、進むを知りて却くを知らず、力を量らずして敵を軽んず、と。荘公曰く、此れ人為らば必ず天下の勇武為らん、と。車を廻らして之を避く。」
(注15):
リヒャルト・シュトラウス交響詩『ドン・キホーテ』作品35は副題を「大管弦楽のための騎士的な性格の主題による幻想的変奏曲」といい、セルバンテスの小説「ドン・キホーテ」に基づいて書かれた。独奏チェロ・独奏ヴィオラが活躍することでも有名であり、それぞれ主人公のドン・キホーテと従者のサンチョ・パンサの役を演じている。
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